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研究はニーズこそ出発点

 私はそんな豊田中研に呼ばれ、約20年前の1999年にまず客員として参画しました*3。何を期待されたのか自分なりに考えるとまず、研究者としての大半のキャリアを米国で築いたこと、次に自動車産業が身近にあったミシガン大学でものづくりに関わりつつ、コンピューターやネットワークを使うIT産業的な分野で研究していたバックグラウンドに思い至ります。米国流の研究手法を体得しており、ものづくりとITの接点を考えるにはちょうどいいと思われたのではないでしょうか。

*3 1999年当時から現在に至るまでミシガン大学にも籍を置いている。2003年の取締役就任当時は、大学に籍を持ちつつ、企業の研究所の取締役を兼任するクロスアポイントメントは米国の大学でもまだ珍しかった。

 その4年後の2003年には取締役になっています。この経緯はまさに米国育ちの研究者というバックグラウンドが関係しているようです。というのも私は企業や当時のほとんどの研究機関の運営で主流だった「研究開発のリニアモデル」に大反対だったからです。

 リニアモデルは技術のシーズを研究の出発点にします。シーズを見つけて先端的な研究で育て、段階を踏んで実用化や普及に至るとする考え方です。しかし私は米国での研究経験から「それは違う」と思っていました。シーズではなく社会にニーズがあって、解決しなければいけない課題があって、あるいは会社の事業ビジョンがあって、それを研究開発の出発点にすべきではないか。実現したいことがまずあって研究はそのための手段、イネーブラー(Enabler)だというのが私の考えです。

 常々そう主張していたから当時のトヨタの幹部たちが「全然違うことを言うやつがいる、米国で研究してきたからだろう、そういう変わり者も1人ぐらいいてもいい」と考えて取締役に推挙されたのだと思っています。