全3710文字
PR

 静まりかえった繁華街や駅構内。急激に落ち込む消費と途絶える人の流れ——。新型コロナウイルス感染症(以下、新型コロナ)の流行は、町の様子を一変させた。

 このよどんだ空気に、2011年3月11日に発生した東日本大震災直後を思い出した人も少なくないだろう。特に、津波を受けて東京電力の福島第一原子力発電所(以下、福島第一原発)が爆発して、大量の放射性物質が放出された後*1、日本中を覆いつくしたあの緊張感は、新型コロナの感染を恐れて誰もが身を潜めるように日々の暮らしを送っている現在にも共通する感覚だ。

福島第一原子力発電所1号機。(写真:渡邊照明)
福島第一原子力発電所1号機。(写真:渡邊照明)
[画像のクリックで拡大表示]
*1 東北地方太平洋沖地震が発生した2011年3月11日、運転中だった福島第一原子力発電所の1〜3号機は、高さ約13 mの津波を受け、非常用ディーゼル発電機などが被害を受けて全電源喪失。核燃料の冷却ができなくなって発生した炉心溶融(メルトダウン)の影響で、水素が大量発生し、原子炉建屋とタービン建屋各内部に水素ガスが充満。1号機と3号機、3号機とベント(緊急時に原子炉格納容器内の圧力を下げるために格納容器内の空気を排出する)配管を共用していた4号機が爆発を起こした。この爆発事故によって大量の放射性物質が大気中に放出され、10万人以上の近隣住民が避難する異例の事態となった。

 放射性物質も新型コロナウイルスも目には見えない。その身体や健康に与える被害が明確でなく、にもかかわらず生命の危険につながりかねない恐怖も似ている。何より、いつ事態が収束するのかが見えないことに対する言い知れぬ不安は、いずれの非常事態にも共通すると言っていいだろう。

 現在も福島第一原発は、残存する大量の放射性物質と格闘しながら、30年かかるとも40年かかるとも言われる廃炉活動を続けている。折しも新型コロナの被害が明らかになり始めた2020年2月4日〜6日、公益社団法人の日本記者クラブが企画した福島第一原発取材に参加。記者団の一員として福島第一原発の構内を取材した。この取材で改めて痛感したのは、原発爆発事故による被害の甚大さと、いまだ続く「言い知れぬ不安」による実害だった。