西暦2000年5月から続けてきた本欄『記者の眼』への執筆を今回で終えることになった。数えたところ本稿は212本目になる。題名に出てくる数字を「18年間に211本書いた」とすべきだが中途半端なので切り上げた。
過去の211本を振り返り総括を書くのが良いと考えたが実施済みのような気がして調べると、やはり2013年1月に1本書いていた。2012年末までに書いた140本を主題別に分類し、思ったことを付け加えたものだ。
一度やったことを繰り返すのは芸が無い。何を書こうかと2013年以降に公開した71本の題名を眺めていると大半の拙文に共通する主題が浮かんできた。「見えないものに挑む」というものである。実はこの主題について過去何度か書いており常に頭の中にある。
はっきり書くと「浮かんできた」というより「何を書いてもこの主題になってしまう」ということだ。「見えないもの」は色々ある。例えば大きいもの、上にあるもの。それらを見るには鳥のように上空に舞い上がり、そこから俯瞰しなければならない。
手元にあるもの、眼前にあるものは見える。だが、その中にある小さなもの、足元のさらに下にあるものは見えない。それらを見ようとすると視点をものの中や地底へ移動する必要がある。
顧客の真の要望は見えない
くどくど抽象的に書いても仕方がないので具体例をいくつか挙げて説明しよう。まず、「見えないもの」として顧客の要望がある。顧客が企業の場合、情報システム部門やシステムインテグレータは経営者や業務部門の要望を聞いて情報システムを開発する。顧客が消費者など個人の場合、Webサービスやソフトウエア製品を開発する企業は、狙う客層の要望を想定して開発を進める。どちらにおいても顧客の真の要望を把握するのは簡単ではない。
のうのうと「こうだろう」と思って作ったとしても、出来上がったものを見た企業顧客は「違う」と言い、個人顧客はそっぽを向く。企業顧客の要望を鵜呑みにせず、そこに隠された真の要望に気付かないといけない。個人顧客が「こういうものが欲しかった」と言ってくれる何かを発案しなければならない。「見えないものに挑む」とはそういうことである。
ろくでもない情報システムや使われないWebサービス、売れない製品ができてしまうのは、見えないものに挑んでいないからだ。こうした失敗について記者の眼でたびたび書いてきた。もう一つ別の例を挙げてみよう。
自分自身の力を高め、より良い仕事をしていくためにはどうしたらよいか。システムズエンジニア(SE)の存在価値、センス、スキル、キャリアといったことについても何度か触れてきた。
知識体系の全体を見ることは不可能
能率重視で手堅く仕事をしているだけはなかなか成長できない。時には勝算抜き、採算度外視で難しい案件や達成できないかもしれない課題に取り組むことで自分の力を高めていける。これも「見えないものに挑む」ということである。
プロフェッショナルの条件の一つとして自分が属する職業集団への貢献がある。アジャイル開発でもプロジェクトマネジメントでもオブジェクト指向プログラミングでもオープンソースソフトウエアでも何でもよいが、各分野のプロが集まるコミュニティに参加し、情報交換をしたり、後進に助言したりする。
禄を食むという言葉があるが、その相手は雇用主や顧客だけではない。自分が選んだ職業に従事してきた先輩や後輩が過去に残した、あるいは今残しつつある膨大な知識や経験があるからこそ仕事ができる。「ボディオブナレッジ(BOK)」は知識体系と訳されるが本来は先達の知識すべてを指す。どの分野であってもBOKは全貌が見渡せない巨大な存在である。
学究の道に戻ったとしても一人の人がすべてのBOKを読むことはできない。BOKを名乗る書籍の題名には通常「ガイド」という言葉が入っている。つまりBOKが載っているわけではなく、広大なBOKへの道案内を書いた、見えないものに挑むための本なのである。
さらに言うとプロフェッショナルはBOKに学ぶと共に、自分の仕事の成果やそこで得た知見をコミュニティに伝え、BOKの充実に貢献する。BOKという見えないものが一人ひとりのプロフェッショナルを支え、成長させることになる。
最終成果物は発注した顧客のためのものだが、それだけではない。システム保守を担当する別のプロフェッショナルが設計書やソースコードを見たとき、先達の工夫や苦労に感銘を受けるということがある。納めた成果物を後進が紐解く将来の様子は見えないが、それを想像し、しかるべき成果物を残そうと心掛ける人は成長できる。