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「量子コンピューティングのマシンを新開発したので取材に来てほしい」

 記者に、ある電子機器メーカーからこんな声がかかった。よく聞けば、本物の量子コンピューターを開発したのではなく、デジタル回路で構成された「イジングマシン」をつくったとのことである。

イジングマシン=イジングモデルという、磁性体中の電子スピンのふるまいを表現するモデルを活用し、主に組合せ最適化問題の求解などに使うマシンのこと。基本素子に量子ビットを用いる「量子アニーリングマシン」の他、デジタル回路を使うものもある。

 正直、製品の仕様や性能は、同様の手法で作られた既存のイジングマシンに遠く及ばなかった。そんな中、記者の関心を一番引いたのが、開発のきっかけである。「用途を考える前に、まずハードウエアをつくってみた」(同社)というのだ。2022年3月にハードが完成し、そこからようやく用途について具体的な検討を開始したという。

 なぜ目的もなくマシンをつくるという、本末転倒な経過をたどったのか。これは記者の推測だが、その会社が「量子」という魔法の言葉に翻弄(ほんろう)されているからではないだろうか。

 「以前の親会社が、(量子技術ならばと)資金をポンと出してくれて開発がスタートした」、「今の親会社も、量子コンピューティングに興味を持ってくれている」。取材中にこうした話題が頻繁に出てきた。要は、世間の量子ブームの影響を受けた上層部による、トップダウンの指令がかかったのだろう。その人たちは、用途よりも「量子」である点にほれ込んでいるのかもしれない。

 こうした点も十分問題だが、そもそもこのイジングマシンは量子技術を一切使っていない。FPGA(Field Programmable Gate Array)と呼ぶ、回路を再構成可能なICに、イジングモデルを古典物理学の範囲で再現した「シミュレーテッドアニーリング(SA)」というアルゴリズムを組み込んだものだ。実際に量子技術を用いて求解するイジングマシンは、カナダD-Wave Systemsの量子アニーリングマシンなど、ごく一部である。

 それなのに「量子コンピューティング」と主張するのは、「量子技術からインスパイアされた技術といえる」(同社)ためだという。量子現象をシミュレーションという形で用いているから、量子という言葉を使っても良いだろうという主張だ。もしこの理屈が通るなら、パソコンのプログラムでSAを使って求解したものも、量子コンピューティングと言えてしまう。