再生可能エネルギーや電気自動車(EV)についての批判が最近増えているように感じる。正当な批判も確かにある。例えば、太陽光発電であれば、自然林を周辺住民の同意なしに伐採、造成したり、固定価格買い取り制度(FIT)の穴をついて権利だけ取得し、システムの価格低下をぎりぎりまで待つケース、あるいはその権利の転売でもうけるケース、20~30年後の発電終了後の撤去計画や予算を明らかにしていないようなケースについての批判だ。筆者としてはそうした事業者の責任もさることながら、そうした業者のふるまいを許した制度設計に問題があったと考えている。
EVであれば、充電インフラの不備不足の指摘や、もっと根本的な、長距離を移動するモビリティーとして重い電池を載せて走るEV(BEV)は最適解か、といった問いも建設的な正しい批判だと思っている。そこに別の解がなければ単なる“ないものねだり”だが、例えば、燃料電池車(FCV)や道路からの無線給電で走るクルマ、太陽光発電で走るクルマなどには決して低くはない可能性があり、それらの選択肢を示し続けることは必要なことだと考えている。
一方で最近特に増えてきた“批判”は、これらの正当な批判とは悪い意味で一線を画している。具体的には大きく4種類に分けられる。(1)具体的な課題の指摘ではない、悪い印象を与えるだけの主張(いわゆる印象操作)、(2)議論すべき量を間違えているケース、(3)再生可能エネルギーの性能、コストや二酸化炭素(CO2)の排出量についてのデータが非常に古いもの、(4)(3)に加えて、その古いデータを将来の予測にもそのまま使ってしまうもの、の4種類である。これらは、真面目に再生可能エネルギーやEVの普及を図っている事業者に多大な迷惑をかける。さらには、日本の世界との再生可能エネルギーの導入競争を後ろから撃つような格好になり、結果として日本の国益を損ないかねない。
2030年のEV向け電力量が太陽光発電で毎年増加中
(1)の例として、最近見かけたのが、「2030年のEVには50億kWh(5000GWh、または5TWh)もの電力量が必要で、それを風力発電で確保するには1MW級の風車が2280基必要。そしてその設置には琵琶湖の6割を占める面積が必要」といった記事だ。再生可能エネルギー、特に風力発電に慣れていない人には、電力量50億kWhや風車2280基で琵琶湖の6割という数字に驚いてしまうかもしれない。実際、この記事に対するツイッターでの反響の多くは残念ながら、「やはりEVは無理がある」「風力発電なんてあり得ない」などというものが多く、悪い印象だけが残ってしまう。
しかし、この主張を冷静に見直してみよう。まず50億kWh(5TWh)自体、実は日本全体の年間発電量からみて“わずかな”電力量だ。具体的には、現在の日本の年間総発電量は0.9兆kWh(900TWh)弱で、5TWhはその約0.6%でしかない。
ちなみに、2010年以前の日本は年間1000TWh以上の電力量を発電(あるいは消費)していた。ところが、2010年以後はほぼ右肩下がりで年間電力需要量が減っている。LED照明などの省エネルギー技術の普及などで電力需要量が10年で10%以上も減ったのである。明日、いきなり発電量を0.6%増やせと言われても、電力会社なら、電力ひっ迫警報が出るような日以外はそれほど苦労せず、発電源を調整して増やしてしまうだろう。ましてEVは2030年まで8年かけて増えるわけで、1年あたりで増やさなければならない発電量は0.1%以下でしかない。
加えて、日本の太陽光発電は2013年以降、年間6G~10GW(直流ベース)のペースで増えてきた。交流出力が5GWとして、これを年間の発電量として計算すると約5256GWh(5.3TWh、設備稼働率12%として計算)。つまり、2030年に必要なEVの電力量を1年足らずで賄っている。この著者が風力発電での電力量確保にこだわった理由が分からない。
風車2280基は密に設置すれば琵琶湖の7%しか占めない
その電力量を賄う風力発電ファームが占める面積についても、その記事では、1MW級の風車が2280基必要という結果から、途中の仮定や計算を示さずいきなり琵琶湖の6割という数字を出している。
ここでこれらの隠れた仮定、具体的には、風車間の距離や出力密度を逆算してみる。1MW級の風車2280基は、正方形に並べれば約48基×約48基。琵琶湖の面積約670km2の6割(402km2)という数字から、風車間の距離を逆算すると約425m、出力密度は2300MW/402km2=5.67MW/km2になる。ちなみに、1MW級のブレードの回転直径は110mほど。風車をかなり間を空けて設置した場合の結果であることが分かる。
この間隔はどうやって決めたのだろうか。流体力学の観点からいえば、別の風車の風下になることの損失を防ぐために風車間はできるだけ空けたほうがよいという論文も確かにある。ただ、風車を設置できる土地に制約がない場合とある場合では最適な間隔が異なってくるだろう。
世界の風力発電の風車の設置密度を調べた論文によれば、陸上風力発電システムの出力密度は欧州で6.2M~46.9MW/km2(平均値は19.8MW/km2)。欧州以外で16.5M~48MW/km2(平均値は20.5MW/km2)だったとする1)。このデータからすると、5.67MW/km2は、出力密度の分布の下限よりもかなり“疎”であることが分かる。
逆に、論文のデータ中、もっとも出力密度が高い48MW/km2になるよう、2280基の風車を配置すると、その風力発電ファームが占める面積は約47.9km2(琵琶湖の7.2%)。風車間距離は約147mになった。1MW級の風車ならこれでもブレードは互いにぶつからないが、かなり密に設置した場合だということは確かだ。
今回の文脈では、読者は「(たとえ最密に風車を設置した場合でも)琵琶湖の6割」とかっこ()の中を勝手に補足して読む場合がほとんどだろう。しかし、実際にはむしろ逆で、読者に誤解と悪い印象を与えるだけの結果になっている。
太陽光発電の“山手線内側全部論”は発電量で比較のケース
ちなみに、面積の話では、少し前まで原子力発電1基分(1GW)と太陽光発電の占有面積を比較する議論で山手線の内側の面積を出すのが、太陽光発電を批判する人の“18番(おはこ)”になっていた。この論の多くは(1)の印象操作に加えて、議論すべき内容や比較すべき量を取り違えた(2)の要素も強い。具体的には、出力と発電量の混同である。
発電システムには大きく2つの特徴的な量がある。定格出力(W)と一定期間の発電量(Wh)である。どちらが重要かは、解決すべき事案が何かによる。
解決すべきなのが、総発電量の不足であれば、原発1GW分の発電量を太陽光発電で賄うのに、「山手線の内側すべてが必要」という計算はおおむね正しい。具体的には、出力が1GW(100万kW)の典型的な原発1基の年間発電量は設備稼働率が70%として6132GWh。これと同等な年間発電量を太陽光発電で確保するには、日本の太平洋側における太陽光発電の設備稼働率が12%超であることから、70÷12×1GW=定格5.83GWの太陽光パネルが必要になる注1)。現在の太陽光パネルの典型的な変換効率は20%であることから、少なくとも29km2、パネルを少し間隔を空けて設置することを考慮するとその1.5倍の約44km2が必要で、確かに山手線の内側の面積に迫る数字になる。
出力で比較すると原発1基分の太陽光パネルは山手線の内側の約1/8
しかし、上述したように、最近の日本の年間電力需要量は急速に減っている。今課題になっているのは、発電事業者が火力発電設備を、電力需要減のスピード、そして再生可能エネルギーの増加のスピード以上に急速に減らしていることからくる一時的な電力の需給バランスのずれで、年間の総発電量を増やす必要性はほとんどなくなっている注2)。
最近の電力需給のひっ迫対策として必要なのは、発電システムのもう1つの特徴量である発電出力の機動的な確保である。電力需給がひっ迫するのは、日中から夕方遅くにかけてで、電力需要の少ない深夜の発電分などはほぼ関係がないからだ。
そして太陽光発電の設備稼働率が12%と低いのは発電できない夜間も稼働率の計算に入れてしまうためだ。太陽光発電は、発電が重要でない時間帯に発電できないことが、なぜか不利なデータとして一人歩きしてしまっているのである。
発電出力に注目した場合、1GWの原発と比較すべき太陽光発電の必要量は、温度上昇による出力低下や定格出力と実際とのズレを考慮して定格の7掛けとして1.43GW分で、その必要面積は約7.1km2となる。つまり、山手線の内側の約7.9分の1の面積で済む注3)。
こうした議論を丁寧にしている批判であればよいが、“山手線論”の多くは、「100万kWの原発1基分を発電するためには、山手線の内側すべてにパネルを設置しなければならない」などと結論が飛躍していて、比較対象が発電出力かと思ったら実は発電量だった、という例が多いのだ。
発電コストが電気料金の1万倍!?
もう1つ、蓄電池を批判する文脈ではなかったものの、(2)、つまり比較する量を盛大に間違えた蓄電池関連の記事も最近あった。具体的には、蓄電池の「製品価格」と「発電コスト」を間違えたのである。日本の場合、蓄電池の家庭向け製品価格は約24万円/kWh。これを、「発電コストが24万円/kWh」と書いてしまったようだ。現在の一般家庭向け電気料金は約25円/kWh前後なのでその約1万倍で、記事が本当だったら誰も蓄電池を導入できない。みかけの単位が同じだけに、書き手にとっても相当な注意が必要なのは確かである注4)。
10~20年前のデータを平気で利用
こうした単純な間違いは、比較的間違いを見つけやすく、笑い話で済ませるかもしれない。それでも、間違いと気が付かずに鵜呑みにしてしまう人は多いようだ。一方、(3)や(4)の古いデータを使ってEVや再生可能エネルギーのCO2排出量や導入コストを評価する例は、単純ミスより数がはるかに多く、しかも論文をさかのぼって調べなければその異常さが分からない点でより深刻だ。
再生可能エネルギーの太陽光発電、風力発電、そしてそれらを支える蓄電システムのいずれもが、累積生産量の増加に応じて製造コストがほぼ右肩下がりに安くなる「Wright(ライト)の法則」に沿っている。太陽光発電については「Swanson(スワンソン)の法則」とも呼ぶ。そして、製造コストだけでなく、製造時のCO2排出量なども右肩下がりに低下している。
具体的には、太陽光発電のスワンソンの法則は約50年続いていて、ほぼ10年で1/10のペースで価格が下がっている。1995~2005年の約10年間こそドイツなどで急速に導入が進み、シリコン(Si)ウエハーの供給がひっ迫したことなどで価格低下のペースが大きく鈍ったが、それ以降から2020年までは元の価格低下ペースに戻った。
これが何を意味するかというと、製造コストやCO2排出量などのデータがすぐに古くなって、そのままでは将来のコスト予測には使えなくなってしまうのである。ところが、再生可能エネルギーやEVを“批判”する人に限って、驚くほど古いデータを使う。4~5年前のデータならマシなほうで、10~20年前のデータを使っている例も少なくない。
ここで太陽電池の価格として10年前のデータ、例えば2019年の時点で2009年のデータを使うとどうなるか。2009年の太陽電池モジュールの価格はグラフから読み取って約3米ドル/W。一方、10年後の2019年には同0.3~0.4米ドル/Wで、ほぼ1/10になっている。言い換えれば、2009年のデータで2019年の太陽電池モジュールの価格を議論すると、10倍過大に見積もってしまう。
さらに、こうした人は、現在の発電コストを評価するだけでなく、2030年など将来のコスト評価にもそのまま古いデータを使ってしまう。今後はスワンソンの法則のスピードは鈍ってくると推測できるものの、2030年時点の価格は、現行の1/3ぐらいになる可能性は高い。その場合、30~100倍の過大な見積もりになってしまう。