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 内心「こんな解決の方法があったか」と思った。日立製作所の鉄道ビジネスユニット笠戸事業所(山口県下松市)がボルトの締結トルク管理に導入したAR(拡張現実)システムでは、作業者が見る画面で3Dコンピューターグラフィックス(CG)をほとんど使っていない。重要な役割を果たすのは、なんと「音」だった(関連記事)。ARは、3D技術であるVR(仮想現実)の高度な発展形だったはずなのに、そのシステムが3DCGを使わない。百発百中の弓の名人が「不射の射」を窮めた末、弓そのものを忘れてしまう、という「名人伝」(中島敦)を思い出した(青空文庫にある名人伝)。

「Microsoft HoloLens 2」(米マイクロソフト)。日立製作所のトルク管理システムにも使われている
「Microsoft HoloLens 2」(米マイクロソフト)。日立製作所のトルク管理システムにも使われている
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 生産技術にARやVRを応用する上で課題になるのが3DCGの作成であり、3D-CADデータの転用だ。ARで必要となる3DCGデータと製品の開発プロセスで扱う3D-CADデータは同じ3D形状データではある。しかし、その内容が大きく異なり、変換作業が必要になる。設計部門が作成した3D-CADデータをARやVRに利用すれば効率的、と思っても意外とそれが難しい、というのが以前からの担当者の悩みだったと聞く。

 3D-CADもCGも3D形状を表現するのは同じであるため、かつての月刊誌「日経CG」(日経BP、1986~2000年)の誌面は半分がCAD、もう半分が映画やコマーシャルなどのCGという構成だった。しかし、2つの分野の読者層は大きく異なり、CADとCGの両方に興味を持つ読者は多くはなかった。そのような数少ない読者の1人だった方(現在では取材先である)から、2つの3Dデータの落差には大きな問題意識を持っていた、と日経CGの休刊後10年たったころに聞かされた。

 3D-CADデータは変形を許容する必要があり、頂点・辺・面といった図形要素が互いに矛盾なく連携するよう複雑なデータ構造を伴い、精度(隣り合う面の間の隙間が10-4mm以内、といった意味)も高い代わりに、データ容量が増える。対照的にCGデータは高速表示のためデータ容量の少なさや単純さが最も重要であり、ポリゴン(多角形)の単純な集まりで表現する。この両者の差を埋める作業はファイル形式の書き換えでは済まず、データの実質的な作り直しが必要になる場合が多い。

 コンピューターの処理能力が大きく高まった現在でも、例えば生産指示用の3Dコンテンツを3D-CADデータから作成するのには少なからず手間がかかる。この手間を削減すべく、さまざまな技術やツールが開発されているが、日立製作所は「ARなら現場の実物がどーんと大きく見えているのだから、3DCGは不要だ」と言い切った。