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 現実世界は、様々な情報にあふれている。それはインターネット上の情報だけではなく、街で目にする企業の広告や、移動中に耳にする他人の会話など、視覚的にも聴覚的にも多くの情報に触れる機会がある。そういった情報をさらに増やして利便性を高めるのがAR(Augmented Reality、拡張現実感)技術だ。今、このARが単なる現実の「拡張」から、現実を適切に「編集」する技術へと脱皮しつつある。

 これまでの現実を拡張するARは、基本的に現実に情報を「足す」方向だった。得られる情報が多いのは、単純に考えれば良いことだと言える。しかし、現実世界の情報のすべてが自分にとって有益であるとは限らない。増えすぎた情報が「雑音」となり、生活していく上で悩まされることは少なくないだろう。ARは、情報を増やす方向だけではうまく機能しないのである。今後必要になるのは、いかに情報を減らして受け取るか、つまり、現実への「足し算」に加えて「引き算」する、言い換えれば現実を適切に編集するための技術である。

ノイズキャンセリングで“音”を引き算

 現実を編集するARの分かりやすい例が聴覚的な引き算、すなわち、音におけるノイズキャンセリング技術である。最近のヘッドホンやイヤホンには、周囲の音を消す「アクティブノイズキャンセリング(ANC)」機能が多く搭載されている。本体に搭載したマイクで耳元の騒音を検出し、その騒音に対して同振幅・逆位相の音を再生することで消音する仕組みである。

 イヤホンのANC機能をオンにすれば、ガヤガヤしている街の騒がしい音を“無音”に変えられる。これが音の引き算である。このとき、人の声や機械の音、車の走行音など、周波数によって消音する強度を変えれば、狙った音に限定して小さくすることも可能だ。

 音の引き算は、プライバシーの保護などでも活用できる。例えば、銀行や役所などの窓口にあるパーティションにフィルム状の圧電素子を使った薄型のフィルムスピーカーを内蔵する。そこからノイズキャンセリング用の逆位相の音を再生させて、隣のブースの声を聞き取りにくくさせることで、イヤホンなどを使わなくても音を消すことができる。

 音の引き算には別の考え方もある。不要な音をすべて消すのではなく、必要な音だけを抜き出してはっきりと聞こえるようにするというものだ。

 例えば、人間の脳の働きの1つに、パーティー会場など周囲で他人が会話している騒音環境下でも、自分に必要な情報だけはしっかり聞き取れるという「カクテルパーティー効果」がある。脳は生来の機能として現実の情報を編集しているのだ。最近の立体音響技術においても音の方向を再現できるようになり、どこからの声かを理解することが可能になりつつある。

画像認識と連携して音を編集

 カクテルパーティー効果と同様な機能を実現しようとする製品も登場し始めた。イスラエルのOrCam Technologies(オーカムテクノロジーズ)が2020年1月の「CES 2020」で発表した「OrCam Hear」は、画像認識と組み合わせて、装着者が聴く音を選択できる機能を備える。

 OrCam Hearはカメラとマイクが一体となった製品で、補聴器やイヤホンなどと接続して動作する。本体をネックレスのように首から提げておき、装着者の方向を向いている相手の顔や唇の動きを画像認識で検出し、自分に話しかけている人の声を抜き出して補聴器やイヤホンへ送信する仕組みである。これにより、ある特定の方向の音だけに絞って再生するということもできる。

「OrCam Hear」を装着した様子
「OrCam Hear」を装着した様子
(出所:OrCam Technologies)
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