10年後、20年後、2021年に東京で開催された2回目のオリンピック・パラリンピック「TOKYO 2020」を思い出すとき、筆者の頭に浮かぶ景色はどんなものだろうか。想像してみた。
おそらく、オリパラの試合ではない。21年夏の記憶と言われたら、即座によみがえるのは3つ。「パビリオン」「トイレ」「顔」ではないだろうか。
コロナ禍でのオリパラ開催となり、無観客になった会場に、筆者は記者としても個人でも一度も足を踏み入れることがなかった。東京開催でありながら、客席からオリパラ競技を観戦するという貴重な経験ができなかったのは、本当に残念である。筆者はチケット購入の抽選に当たっていただけに、なおのこと悔しい。
建築メディアの記者でありながら、国立競技場や有明アリーナなど、オリパラのために建てられた新しい施設を会期中に取材できなかったのも心残りである。コロナ禍では報道関係者の入場も絞られてしまい、筆者は中に入れなかった。
競技観戦はもっぱら、ステイホームでのテレビ中継になったわけだが、筆者は普段からあまりテレビを見ない。日中は仕事がある。試合はほとんど見ないまま、気が付けば21年9月5日のパラ閉会式を迎えていた。
それでも21年夏は筆者にとって、忘れられない年になったと思う。オリパラがあったからこそ実現した数々の関連イベントやプロジェクトに、仕事やプライベートで関わることができたからだ。オリパラ会場には入れなかったが、会期中は国立競技場や国立代々木競技場などの周辺エリアを何度も行き来し、コロナ禍ではあるがパビリオンとトイレ、そして顔を追いかけた。
これら3つについては、誰よりも間近に、そして詳細に見聞きしてきたのは筆者なのではないかと思っているほどだ。全く関連性がないような3つは、実はオリパラ開催地である「TOKYO」のキーワードでつながっている。
日本の著名な建築家やアーティストが都内に思い思いのパビリオンを建てる「パビリオン・トウキョウ2021」と、東京の空に巨大な顔を浮かばせるアートプロジェクト「まさゆめ」はどちらも、オリパラを文化面から盛り上げるプログラム「Tokyo Tokyo FESTIVAL スペシャル13」による企画だ。オリパラ開催が1年延期になり、共に仕切り直しを余儀なくされた。
パビリオン・トウキョウ2021で登場した個性的なパビリオンは、全部で9つ。先ほどの茶室パビリオンは藤森照信氏によるものだ。他にも妹島和世氏や藤本壮介氏など6人の建築家や、アーティストの会田誠氏や真鍋大度氏らが参加した。企画したのは、国立競技場に程近いワタリウム美術館の和多利恵津子氏と浩一氏である。
筆者は建設途中も含めて、全てのパビリオンを取材し、オープン直後から連日、日経クロステックで詳細に紹介していった。
パビリオンの中でも特に評判になったのが、石上純也氏による「木陰雲(こかげぐも)」である。昭和初期に建てられた邸宅「kudan house」の森のような庭園に、焼きスギを効果的に用いて、新しいのに「古い」光景をつくりだした。
ワタリウム美術館には、各パビリオンの模型や図面、建材などが展示された。ここで筆者が一番驚いたのが、石上氏のパビリオン模型と精緻な図面である。ランダムにくりぬかれたかのように見える焼きスギ屋根の穴は、全て配置や形が決められていた。
庭園を計測し、どこに焼きスギの柱を立て、屋根のどの位置にどんな形の穴を開けるかは、計算されたものだったのである。庭園の植物と一体化したような建物なので、パビリオンが人工物であることを忘れてしまうようなたたずまいをしている。
まさゆめが最初に顔を浮かべた代々木公園の原宿門のそばにあるパノラマ広場付近には、藤本氏による「Cloud pavilion(雲のパビリオン)」があった。2つのプロジェクトが隣同士で接点を持ったことを、筆者はうれしく感じた。
ちなみに代々木公園のパノラマ広場近くには、1964年の東京オリンピックで選手村が置かれた現在の代々木公園に立っていた「オリンピック記念の宿舎」が残る。選手村以前には米国軍人の住居として使われていた「ワシントンハイツ」の面影を今に伝えるものだ。
この建物によく似た形状や色合いの「神宮前公衆トイレ」が、デザイナーのNIGO氏によって21年5月に原宿に誕生している。
国立競技場の至近、青山通り沿いに現れた段ボールとブルーシートでできた2つの城は、見かけた人が多かったかもしれない。会田氏による「東京城」は会期中に発生した激しいゲリラ豪雨にも耐え、オリパラ期間を乗り切った。