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 異例の会見だった。トヨタ自動車が2020年11月6日にオンラインで開催した2020年度(2021年3月期) 第2四半期決算(中間決算)発表のことだ。通常は期末にしか姿を見せない豊田章男社長が、社長就任後に初めて中間決算発表の説明会で登壇したのだ。依然、新型コロナ禍の緊急事態下にあるため、トップ自ら説明する形をとったのだという。

 コロナ禍にありながら、トヨタ自動車の業績は急回復している。営業利益は5199億円と前年同期と比べると半分以下(前年同期マイナス8792億円)だが、期初に打ち出した5000億円の営業利益の目標を上半期の段階で超えた。下半期の販売台数は前年同期を超える見込みだ。すなわち、同社の業績はわずか半年で新型コロナ禍を克服する勢いを見せている。

トヨタ自動車の豊田章男社長
トヨタ自動車の豊田章男社長
社長就任後、初めて中間決算発表に登壇した。(出所:トヨタが配信した動画を日経クロステックがキャプチャー)
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 質疑応答では、どういうわけか報道関係者ではないトヨタ自動車の大口株主という社長が質問に立ち、中間決算の結果と共に豊田氏を絶賛した。これを受けた豊田氏の口から興味深い言葉が漏れた。「私はあまりメディアを中心に評価されていない。その意味で、ちょっとくすぐったいほどの評価だ」と。日本の経済に与えるトヨタ自動車の影響力は極めて大きいため、歴代トップの動向は常にメディアの注目の的となってきた。だが、同氏の評価が割れる点を、筆者はかねて不思議に感じていた。

業績の大幅な上方修正
業績の大幅な上方修正
営業利益を期初の5000億円から1兆3000億円に引き上げた。コロナ禍にありながら業績を急回復させ、再び成長軌道に向かっている。(出所:トヨタ自動車)
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豊田家に生まれた宿命

 2009年1月、トヨタ自動車は社長交代を発表し、豊田章男氏はトヨタ自動車のトップに上り詰めた(同年6月に第11代社長に就任)。同社会長で第9代社長だった張富士夫氏が太鼓判を押す横で、豊田氏は口を真一文字に結んで緊張した面持ちだった記憶がある。このとき、トヨタ自動車はリーマン・ショックの直撃を受けて、まさに底なしの業績悪化に苦しんでいた。結果、同社は2008年度に4610億円もの営業赤字に沈み、社長交代の人事に至った。

 メディアの扱いはさまざまだった。第10代社長の渡辺捷昭氏の引責辞任と受け取ったメディアもあれば、3代続いた“外様社長”を経て、創業家出身の社長に戻ったとして「大政奉還」と報じるメディアもあった。トヨタ自動車はその3代の社長(第8代社長の奥田碩氏、張氏、渡辺氏)時代、ハイブリッド車の立ち上げや本格的なグローバル化を押し進めるなど拡大路線をひた走り、総じて好業績だったこともあってメディアの評価が高かった。その分、豊田章男社長の誕生を、自身が振り返るように「お手並み拝見」と見る向きが多かったのは事実だ。

 筆者は「旗を豊田家に戻したのだな」と捉えた。リーマン・ショックによる世界同時不況という未曽有の危機を乗り越えるには、社員のベクトルをそろえる力を一層強化する必要がある。それには豊田家出身の社長が適任だと当時の経営陣は考えたのだろうと。また、脇を固める副社長が優秀なブレーンとして社長を支えていけばよいのではないかとも考えた。かつてトヨタ自動車における豊田家の意味を聞かれた奥田氏が、「豊田家は旗だ」と回答していた影響もある。

 この会見で鮮明に覚えているのは、豊田氏の次の言葉だ。「豊田の姓に生まれたことについて、私には選択肢がなかった」──。世間には創業家生まれの人をうらやむ見方も、世襲人事だと揶揄(やゆ)する声もあるだろう。正直に言って、筆者も実力や成果というよりも世襲の要素が大きいと思っていた。

危機に強い社長

 それから11年が経過した今、豊田氏を一言で表現するなら「危機に強い社長」と言えるだろう。品質問題や自然災害が立て続けにトヨタ自動車を襲い、それらを一つひとつ乗り越えてきたからだ。

 まず、社長就任直後の2009~10年に大規模リコール問題に直面。フロアマットにアクセルペダルが引っ掛かる、アクセルペダルが戻りにくい、ハイブリッド車のブレーキが利きにくい(違和感)といった品質不具合が連続して発覚し、世界で合計約1100万台ものリコールを余儀なくされた。豊田氏は米下院公聴会にまで招致され、そこでの発言次第では社長失格の烙印(らくいん)まで押されかねないほどの危機に陥った。

大規模リコール問題に直面した
大規模リコール問題に直面した
トヨタ車の品質が疑われ、豊田氏は米下院公聴会にまで招致される事態となった。(出所:トヨタ自動車)
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 それでも、何とか乗り切った。証言台に立って語った「全てのトヨタ車には私の名前が入っている」「全ての責任を私が負う」という豊田氏の言葉が、米国当局が追及の矛を収めるのに利いたと言われている。誰かに責任を転嫁することも言い訳することもせず、創業家出身の社長として批判を一身に浴びたことが事態を好転させたのだ。

 社長就任3年目の2011年には、東日本大震災が発生した。サプライチェーン(部品供給網)が寸断され、中でもルネサスエレクトロニクスの那珂工場(茨城県ひたちなか市)の被災により、集中購買していた車載用マイコンが手に入らなくなった。同年の後半にはタイの大洪水により、トヨタ自動車の工場が被災するとともに、ここでもサプライチェーンが寸断。タイだけではなく、インドネシアやフィリピン、日本、米国、南アフリカにまで影響が広がり、世界各国の工場で稼働レベルの調整を強いられた。

 そして、現在進行形の危機であるコロナ禍だ。世界経済が混乱状態に陥り、日本でも多くの企業が「とても業績予想を計上できない」と音を上げる中、豊田氏は2019年度(2020年3月期)通期の決算発表の席で「私は非常に落ち着いている」と発言し、社内外の動揺を抑えた。その上で、落ち着いている根拠や回復へ向かうための基準を示すべく、経理担当者に黒字目標(既述の営業利益5000億円)の発表を命じた。そして今、トヨタ自動車は豊田氏の指揮の下、世界の自動車メーカーの中で先陣を切って回復軌道を進んでいる。

 振り返ると、これらの危機をトヨタ自動車が乗り越えられた鍵は、「全ての責任を私が負う」という豊田氏の言葉だったのではないだろうか。危機のまっただ中にある現場では、普段以上に即断・即決が求められる。いくら権限委譲を大胆に進めても、現場の一管理者が全責任を負うことなどとてもできないだろう。豊田氏から「全ての責任を自分が負う」と言われて任された人間は、安心できる上に意気に感じ、モチベーションを高めて事態に立ち向かえることだろう。いわゆる“サラリーマン社長”とでは説得力がまるで違う。