DX(デジタルトランスフォーメーション)を起こすためには、自社ビジネスに精通した人間が不可欠だ。外部人材が逼迫する今、スキル実装して育成する「人材の内製化」は避けられない。IT企業をはじめさまざまな企業が急ピッチで人材育成に取り組んでいる。
社員のリスキリング(学び直し)を推進するよう、政府が企業に大号令をかけている。2022年秋、岸田政権が「今後5年間で1兆円を投資する」と総合経済対策でうたったのは記憶に新しい。
学び直しなどに関するテーマを取材する中で、複数の担当者から「手あげ」という言葉を聞いた。初耳だった。「手を上げる」や「挙手」よりも、ある取り組みに対し「自ら挑戦する」意を強調している言葉なのだろう。自分で参加を表明するので、中核メンバーとして主体的な関与が期待されている。
古くて新しい公募制度
手あげの代表的な例として人事異動制度の公募がある。古くはソニーグループが「社内募集制度」として1966年に開始したそうだ(2022年10月の同社資料より)。
富士通の社内公募制度「ポスティング制度」では常に1000件以上の募集が掲載されているという。日経クロステックのインタビューに応じた同社の渡辺大介Employee Success本部人材採用センター長は、2021年は約2500人の社員が同制度で異動したと話している。
関連記事 富士通の新卒採用責任者が語る、「DX企業への変貌」へ求める人物像日立製作所は経験者採用の募集時、同じポジションを社内公募にかける。社員にとってはチャンスになり、採用側にとっては社内外から意欲ある人材が集まる利点がある。2024年度には500人の異動を目指す。
学びのシーンも「手あげ」だ。クレディセゾンは社員をデジタル人材へと変えるリスキリング施策に取り組む。その1つに、エンジニアやデータサイエンティスト志望者を、社内公募を経て配置転換するというものがある。2020年以降、公募を続けている。
武田薬品工業では国内事業部門に向けたリスキリングの取り組み「データ・デジタル&テクノロジー(DD&T)アカデミー」を2022年10月に開始した。社内公募で手あげした社員に対してリスキリングするプログラムだ。初回の公募には150人強が応募したという。
DXが企業の生き残りのカギとなった今、デジタルに理解を持ち、未知の領域に飛び込む人材を育成する重要性はかつてないほど高まっている。社員は異動や新規の役割に伴う業務に関し、知識・スキルを早く獲得する必要がある。これらの仕事上の「学び」なくして活躍はおぼつかない。
そのため学べる環境を用意する企業はいまや珍しくない。多くの企業がデジタル人材育成を目的とするプログラムを提供する。これらは対象社員向けに、デジタルリテラシーを高める初学者研修(eラーニングが代表的だ)、企画などに関わる人材にデジタルスキルを実装する研修、そしてAI(人工知能)やデータサイエンスといった先端技術を持つIT人材向け研修――の3段階に大別される。独自の認定制度があったり、実践の場として社内留学制度を設けたりするなど、各社はさまざまな施策を講じている。
学ばない国の永遠の初心者
手厚い施策に「企業は本気だ。社員は学べるしいいことずくめだ」と心強く思っていたところ、異なる視点を提供してくれたのが、労働、組織、雇用に関するテーマについて多くの調査・研究を手掛けるパーソル総合研究所の小林祐児上席主任研究員だ。「日本は学ぶ習慣のない国」だというのである。どういうことか。
理由には歴史的背景がある。日本の労働に関する慣行や人事制度に根ざす構造的要因が大きい。例えば企業は長期安定雇用制の下、さまざまな職務を社員に経験させるジョブローテーションを取ることが多かった。このため、社員は自分のキャリアを戦略的に積み上げる必要を感じなかった。主体的に学ぶ・学ばないという意思決定に慣れていない。
職場で必要になる知識やスキルはOJT(職場内訓練)型で学ぶが、あくまで既にある業務の「復習」で再現するので、未来に関して学ぶ方向には弱い。ジョブローテーションがある種の疑似転職として機能したため、数年ごとに仕事も人間関係もリセットして、異なる仕事に就いた後に業務を覚えた。これが「永遠の初心者を生んだ」(小林上席主任研究員)。日本企業は、社員の学びのインセンティブが弱く、あっても事後的に起こりやすい素地を内包してきたわけだ。