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 世はDX(デジタルトランスフォーメーション)の一大ブーム。最近、この「極言暴論」でもDXをよく取り上げている関係もあり、企業の「DX奮闘記」的な話をCIO(最高情報責任者)らから聞く機会が増えた。その中には、なかなか感動的な話もある。ただねぇ、私がへそ曲がりなだけなのかもしれないが、どうも違和感がある。はっきり言ってしまえば「気色悪い」のだ。

 別に特定の企業の取り組みを言っているわけではない。日本企業のどんなDXの取り組みであっても、何とも言えない気色悪さがある。DXだけじゃないぞ。かつてのBPR(ビジネス・プロセス・リエンジニアリング)や、ERP(統合基幹業務システム)の導入に伴う業務改革などの取り組みでも同じである。要は、日本企業における「我が社の変革物語」には、似たような違和感があるのだ。

 DXの話に戻すと、経営者がDXを我が事と正しく認識して自ら主導するか、あるいは「我が社もDXを推進せよ」と命じて部下や現場にDXを丸投げしてしまうのかは、あまり関係がない。いずれの場合にせよ、CIOやCDO(最高デジタル責任者)の下、DXの実動部隊となる管理職や技術者らがはせ参じたり、アサインされたりしてデジタル変革(あるいはデジタルビジネスの創出)に取り組む。いずれの企業でも、DXの取り組みはだいたいそんな話になる。

 それ以上に、各企業の取り組みには共通点がある。DXに参画する人たちがピュアなのだ。「このままじゃ、会社は駄目になる」「デジタル時代に対応できるよう会社を変えたい」などの熱い思いで取り組んでいる。CIOやCDOもそれを誇らしげに語る。そう言えば、あるコンサルタントも「日本企業の変革プロジェクトでは、特に管理職たちは純粋に『これをやってうちの会社は良くなるか』を考える。私利私欲からものを言う人は少ない」と話していたな。

 どうだろう。気色悪くないか。「皆DXに一生懸命取り組んでいる。何で気色悪いのだ。失礼ではないか」と怒る読者もいるかと思う。だが、ちょっと考えてみてほしい。変ではないか。「会社が潰れてしまったら、私が困るではないか」とか「プロジェクトを成功させれば出世できるぞ」などと私利私欲からDXに取り組むなら気持ちが分かるし、むしろ健全だ。だけど、なぜこんなにピュアなのだ。

 これって、まさに愛社精神というやつだな。今どき愛社精神を口にすると「昭和の遺物」のようでダサいので、真っ正面から愛社精神を語る人は極めてまれだ。だが、愛社精神は昭和から平成、そして令和へと脈々と受け継がれている。特に大企業では、自社への愛で満ちあふれているようだ。これって単に気色悪い話で済まないぞ。愛社精神にあふれているようでは、DXなど成功するわけがないではないか。