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 「これからのアフターコロナの時代には……」「いやいや、まだまだウイズコロナだ」などとニューノーマル(新常態)に関する議論が沸騰している。まあ「アフター」でも「ウィズ」でもどうでもよいのだが、議論のポイントは「日本が変わる契機となる」という点に尽きる。IT関連で言うと、これを機に日本でもDX(デジタルトランスフォーメーション)が加速する、との話になる。

 でもね、その手の話をする識者たちって、いわゆる「脳内お花畑」状態ではないだろうか。言うまでもなく「脳内お花畑」とは能天気な思考回路を指すスラングで、昔風に言えば「おめでたい」となる。今まで遅々として普及しなかったテレワークが新型コロナウイルス禍対策として一気に普及したのを見て、気分が舞い上がり「やればできるじゃん。これで日本でのDXも加速するぞ」と過剰な期待を抱いてしまったのかもしれないな。

 うーん、そんなわけないでしょ。これまで絶対に無理と思っていた職場でもテレワークの導入が進んだから、誰もが「やればできるじゃん」と思ったのは確かだ。私だってそう思った。店舗といった顧客とのリアルな接点を奪われた企業の中には、オンラインによる営業活動に切り替えて成果を上げているところも出てきた。そこまで試みれば「DXのはじめの一歩」と言えるかもしれない。だが、恐らくはその一歩でおしまいである。

 テレワーク、あるいはオンライン営業などは、新型コロナ禍による外出自粛という絶体絶命のピンチを切り抜けるために取り組まれたことである。そうしなければ自分が、あるいは社員が新型コロナに感染するかもしれない。そうなれば仕事ができず、会社が潰れて職を失うかもしれない。だからこそ誰もが懸命に対応策を講じて実行に移した。その結果、対応できたのだ。「あーあ、やれやれ」である。残念ながらそれ以上でも、それ以下でもない。今までぼーっと働いていた人の誰が「よーし、これを機に改革するぞ!」と奮い立つだろうか。

 そう言えば、ニューノーマルとは素晴らしい言葉だ。状況を的確に表現している。この言葉を「これまでの常態から変わってしまった」との意味で捉える人が多いが、実はもう1つの側面がある。ノーマル、常態とは「普通の状態」である。つまりニューノーマルは新しい「普通の状態」であり、もはや状況がそれ以上変わらないことを意味する。新型コロナ禍が去ってもテレワークを続ける企業がそれなりにあると思うが、それが常態となる。どうしてその常態をさらに変えられるとを期待できるのだろうか。

 そもそも「脳内お花畑」の識者の言う通りであれば、今の日本はもっとましになっていたはずだ。東日本大震災直後にも似たような議論があったと記憶しているが、それ以前と何か変わっただろうか。ITの話で言うと、大騒ぎでBCP(事業継続計画)を策定してデータセンターを分散した企業は多かったが、それでおしまい。もしそれを機にIT投資の在り方を変えられたのであれば、後に急速に普及したクラウドの活用に乗り遅れたりしなかったはずだ。