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 どんな仕事であっても最も大切なのは、働くことを通じて何らかの形で社会に貢献できているかどうかだ――。ずっと以前から、私はそう確信している。私の仕事、例えばこの「極言暴論」の執筆でもそうだ。Twitterなどで「木村はITベンダーなどの悪口を書いて何が楽しいんだ」といった罵詈雑言(ばりぞうごん)を目にしたりするが、何を言っているんだろう、である。社会に貢献できているとの確信があるから「楽しい」のだ。

 なぜこの極言暴論によって社会に貢献できていると思うのかについては、いきなり話を脱線させることになるので今回は書かない。というか、書く必要もない。極言暴論の記事をきちんと読んでもらえれば、どなたでもそれを納得してもらえるはずだからだ。それよりも今回は、私が「悪口を書いている」というITベンダー、あるいはユーザー企業のIT部門などにいる技術者をこう挑発したい。「あなたは働くことを通じて社会に貢献できているとの感覚があるか?」。

 「話を脱線させない」と書いたばかりだが、ちょっと余計な話を書いておく。この記事の前提と思ってもらいたい。どうも社会貢献というと、無償のボランティア活動を思い浮かべる人が多いが、働いて社会に何らかの価値を提供するのが、最もベーシックな社会貢献だからな。確かに無償のボランティア活動、プライスレスの活動はとても尊い行いだが、それだけが社会貢献ではない。有償のボランティア活動はもちろん、ビジネスパーソンは本来、働くことが社会貢献につながる。

 技術者をはじめ全てのビジネスパーソンは、働くことを通じて何らかの価値を社会に提供しているのだ。もちろん価値の等価交換の原則に基づき、提供した価値に見合う報酬を受け取るのは当然のこと。で、そのお金を使って他の誰かが提供する価値(製品・サービス)を受け取ることで、社会と経済を回していく。ちなみに「社会」といっても、社会全体でなくてもいいぞ。社会の一隅であっても、たった1人の誰かであっても、それはそれで社会に価値を提供したことになるからな。

 本格的に話を脱線させて、ついでに言っておくと、お金の使い方のほうにも似たような話がある。「地獄の沙汰も金次第」の意味を取り違えているという話だ。「いくら何でもそこまで話を脱線させるな」と言われそうだが、まあ聞いてほしい、いや読んでほしい。私も含め誰もが「地獄の裁きもお金で何とかなる。世の中は全てマネー次第さ」と捉えているが、ある寺の住職からそれはとんでもない間違いだと指摘されたことがある。

 その住職が言うには「誰も皆、『地獄の沙汰も金次第』の意味を誤解している。本当は、死ぬまでにためたお金を世のために使ってこいという意味だ。お金は稼ぐよりも使うほうが難しい」。この住職は「だからお布施は高額に」とオチまでつけたが、私は「正しくお金を使って経済を回し、社会に貢献すべし」と解釈した。つまり、働くことを通じて社会に価値を提供し、得た対価を正しく使うことで誰かが提供する価値を受け取り、経済を回し社会を発展させる。これが人としてビジネスパーソンとして正しい在り方であると理解した。