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 この「極言暴論」では、日本企業の経営者が妄想する「我が社の強みは現場力」なるものが、いかに企業を腐らせてきたか、そしていかにDX(デジタルトランスフォーメーション)を困難にさせているかを何度も説明し、経営者の愚かさを糾弾してきた。その効果かどうかは定かではないが、ようやく最近では日本企業の経営者もその妄想がもたらす弊害に気づいてきたようで、「現場力!現場力」と連呼する声を聞くことは少なくなった。

 私としても「我が社の強みは現場力」問題については暴論し尽くした感があるので、最近ではこのテーマを極言暴論で正面から論じることはなかった。だけど、である。油断していたのだが、いまだに「やはり御社の強みは現場力ですから、DXを実現するうえでも大切にしないといけません」などとささやいているIT系のコンサルタントらが大勢いるらしい。日本企業がクライアントの場合、現場の長である中間管理職の歓心を得ないとプロジェクトが困難になるから、気持ちは分からんでもないが、これはけしからぬことである。

 それにこの間、日本企業の経営者の現場力へ妄信、そして現場への丸投げが最低の結果を招くという事例を2件目撃することになった。1つは三菱電機の現場で横行した品質検査不正、もう1つがみずほ銀行のシステム障害、もっと限定して言えば一連のトラブルのうち最初の「顧客放置事件」である。三菱電機の事件は「現場力の暴走」であり、同様の事件はこの5年の間に他社でも多数発覚しており、もはや見飽きた聞き飽きた事件である。そして、みずほ銀行の顧客放置事件は、いわば「現場力の空転」である。

 そんな訳なので、「我が社の強みは現場力」問題を久しぶりに取り上げようと思う。現場のブラック化など新たな問題提起も後で書くが、まずは現場力に依拠する日本型経営の何が問題かを基本から順次解説しよう。現場力とは経営力の対極だ。日本企業の強みは現場力ということは、裏を返せば日本企業は経営力が劣っているということだ。これは当たり前で、終身雇用と年功序列に守られて「出世」してきたサラリーマン経営者は、外国企業のプロの経営者に比べると、意思決定能力や企業統治能力などで思いっ切り劣後する。

 一方、現場力は日本人の気質や文化に由来する一種の「特殊能力」だ。具体的には、「人の目を気にして、空気を読んで忖度(そんたく)する」「個人よりも所属する集団や組織を上位に置いて規律を守る」「細部にこだわり完璧を尽くそうとする」などである。こうした日本人の気質や文化は大量生産時代にベストマッチで、昭和の世には多くの製造業が大きな飛躍を遂げ、メード・イン・ジャパンが世界を席巻することになった。「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と外国人におだてられ、のぼせ上がっていた頃の話である。

 日本企業の歴代のサラリーマン経営者はこの成功体験が忘れられない。だから「我が社の強みは現場力」などと言っているわけだ。ただ少し考えれば分かることだが、日本企業の現場力とは、企業が日本で生まれ育ったことによるアドバンテージであって、経営努力によって培ったものではない。要は経営がアホウでも現場力はあるのである。ちょうど新型コロナウイルス禍に対する政府の対策やシステムがどんなに駄目でも、多くの国民が現場力を発揮したことで感染拡大を他国よりも抑え込めた。あれと同じだ。