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 昔、「ソフトウエアなんかにカネを払えるか」と幹部社員が言い放った大手家電メーカーがあった。当時、駆け出しのIT記者だった私は腰を抜かしそうになった。その記憶は今でも鮮明に残っている。さすがに今は、そのメーカーも含めどんな企業でも、経営者や幹部は口をそろえて「ソフトウエアは重要」と言う。まあDX(デジタルトランスフォーメーション)を叫んでいるのだから、当たり前と言えば当たり前である。

 ただなぁ、何だろ、この違和感は……。以前からそんなふうにもやもやしていたのだが、最近すっきりと整理できたので、今回の「極言暴論」で書くことにする。何の話かと言うと、ソフトウエアの重要性を自分は理解していると思っている人ですら、本当はその重要性の本質に気付いていない場合が多いということだ。実はソフトウエア技術者でも、ソフトウエアの重要性について勘違いしている人が随分いる。

 その勘違いとは、依然として「ものづくり」の発想でソフトウエアの重要性を捉えていることだ。最近続々と誕生しているITベンチャーらは別として、トラディショナルな日本企業の面々はこれだけ「モノからコトへ」「製品よりサービスが重要」と言われているにもかかわらず、ソフトウエアを製造業的なフレームワークでしか見ていない。彼らにとって「ソフトウエアは重要」とは「ハードウエアに比べて同等か、それ以上に重要」といった意味にすぎない。

 「何を言いたいのか、さっぱり分からない」という読者のために、分かりやすい例を挙げよう。もちろん、我らが人月商売のIT業界の話である。人月商売では、技術者という名の労働者の単価に人月工数を掛けることで、システム(実質的にはソフトウエア)の料金が決まる。しかも、元請けのSIerはコストを引き下げるために、実際のソフトウエア製作を下請けITベンダーに丸投げしている。

 一見すると、人月商売のITベンダーはソフトウエアの重要性を自ら否定しているかのようだ。何せ、つくり出されたソフトウエアの付加価値が料金に反映される余地は一切ないからな。だけど、ものづくりの観点から言うとこれが「正解」なのだ。別に安い料金でつくられたからと言って、客にとってのソフトウエアの価値や重要性が減じるわけではない。価値あるものを可能な限り安くつくるのは、ものづくりの観点では「正義」である。特注の工業製品、そして橋やダムの場合と理屈は同じだ。

 かつて、ソフトウエアの重要性を理解する人がほとんどいない状況からビジネスを始めた日本のITベンダーは、実際にソフトウエアを特注の工業製品に位置付けようとした。「ソフトウエア開発の工業化」は大いなる目標だったのだ。しかしこれが大間違い。ソフトウエアの重要性の本質を見誤る結果となった。その話の前に「ソフトウエアなんかにカネを払えるか」と客が言い出すきっかけをつくったのは誰かについて言及しよう。犯人はもちろんITベンダーである。