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 大阪万博のシンボルとなる彫刻を任された岡本太郎(1911~96年)は、建築家・丹下健三(1913~2005年)が設計したお祭り広場の中央に、大屋根を突き破る巨大な塔を提案。その暴挙に丹下を中心とする建築家チームはカンカンに──。そんな逸話を聞くことが多い「太陽の塔」の建設過程だが、後半の「建築家チームはカンカンに」は、周囲がつくり上げた誤情報に違いない。改修設計を終えた太陽の塔を見てそう確信した。

 3月19日に一般公開を開始した太陽の塔をイラストでリポートする。同日公開した改修設計のリポート(太陽の塔が本日オープン!内部を一挙公開)を読んだ方は、多くの写真でその雰囲気を分かっていただいたと思う。だが、この塔の内部は引きがない(奥行きがない)ので、全体像を1枚で伝える写真が撮りにくい。結局のところどういう内部構成なのか、頭に描くことができた人は少ないのではないか。「これは(筆者が得意とする)イラストの出番だ」ということで取材に同行させてもらった。

 ……というのは半ば言い訳で、個人的にどうしても塔の内部が見たかったのだ。

(イラスト:宮沢 洋、以下のイラストも同じ)
(イラスト:宮沢 洋、以下のイラストも同じ)
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 無理を聞いていただいた昭和設計建築設計部の久家一哲主査、ありがとうございます!

 筆者は1967年生まれで、1970年開催の大阪万博を見たことがない。ニュース報道すらも覚えていない世代だ。それでも大阪万博にはなぜか強いノスタルジーを感じ、万博記念公園(大阪府吹田市)に残された太陽の塔も何度か見に行ったことがある。

 7、8年ぶりに万博記念公園を訪れたが、塔を間近で見上げると、改めてその求心力、アイコン性に驚かされる。

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大阪万博当時(1970年)の太陽の塔とお祭り広場。丹下健三が設計したお祭り広場の大屋根から頭が飛び出す形で太陽の塔が立っていた(写真:大阪府)
大阪万博当時(1970年)の太陽の塔とお祭り広場。丹下健三が設計したお祭り広場の大屋根から頭が飛び出す形で太陽の塔が立っていた(写真:大阪府)
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 久家主査の案内で、今回増築された地下部の展示を見た後、いよいよ憧れの塔の内部へ。「おーっ」。思わず声が出る深紅の空間。

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 塔の内部のメーン展示物は、岡本太郎がデザインした「生命の樹」だ。万博を資料のみで知る筆者には、この「生命の樹」をどうやって見る動線だったのかが長年の謎だった。その答えは……。まず、地下展示ゾーンから塔内に入り、イラストのように壁添いのらせん階段で一段上にある円弧状テラス(イラストの上の方)へと進む。

 その後は、交差して架かる4つの階段を8の字を描くように上りながら、生命の樹に取り付けられた展示物(生命の進化)を見る。最も高い見学場所は「両腕」のレベルにある円弧状テラスで、ここが改修後は法規上の地上2階となった。

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 建築好きは、生命の樹よりもむしろ、このブリッジの複雑な架かり方に萌(も)えるかもしれない。思わず「かっこいい!」と声が出る。ブリッジの交差の仕方は改修前とほぼ同じだが、もともとは階段でなく、エスカレーターで上る動線だった。軽量化のためと「ゆっくり展示を見られるように」という2つの理由から、既存のエスカレーターを撤去して階段に付け替えた。