「今年こそこうする」と1月に考え、方針や抱負を決める人は多い。筆者もそうしようと考えてみた。考えながらソーシャルメディアをぼんやり眺めていたところ、「『超絶なる心得』by ケリーサイモン」という文字が目に入った。超絶ギタリストを名乗るKellySIMONZ(ケリーサイモン)氏が書いた12条の心得である。同氏はギター演奏もすごいが文を書くのも達者で、これまでにも何度か紹介してきた。
参考記事: 限りある人生で「見えないソフトウエア」にどこまで挑めるか『超絶なる心得』はケリーサイモン氏が主催する「超絶音学塾」の心得である。ギターを学び、弾く人が「超絶(飛び抜けて優れる)」を目指すためのものだ。筆者はギターをまったく弾けないが、読んで大いに刺激されたので紹介する。
~心がけ~
- 自分は出来ると信じ続ける
- あらゆる角度から物事を見詰める
- あえて他との比較をするなら高みを見極める
- 欲張らず一つ一つをしっかりクリアする
- 自分に厳しくかつ向上心を持つ
- 自身が求め、目指すべき方向をしっかり決める
~実践~
- あらゆるジャンルの音楽を聴く
- 常に生活の中でリズムを感じとる
- 楽器がなくてもイメージングだけで演奏する
- メロディのみならずハーモニーに耳を傾ける
- 自分の演奏を常に記録し視聴する
- 超絶に「やらない」という選択肢はない
2年前に「仕事で調子が出ないならケリーサイモンのクラシック演奏を聴くとよい」と推薦してくれたビジネスコンサルタントに、この超絶なる心得を電子メールで送った。すると「超絶版五輪書。一つの道を究めようとするケリーサイモンの文章は先人の極意である五輪書にシンクロしている」という返事が来た。
手元にあった『五輪書』(宮本武蔵著、渡辺一郎校注、ワイド版岩波文庫)をめくってみるとなるほど、超絶なる心得と呼応するところが多々ある。
30歳までに一芸で名を挙げ、後進の指導にまわり、50代で心得をまとめた点は両者に共通する。宮本武蔵は五輪書の基になった『兵法三十五箇条』を寛永18年(1641年)に50代で書き、寛永20年(1643年)に五輪書を書き始めた。60歳のときである。正保2年(1645年)に完成させ、弟子へ伝えた。一方、ケリーサイモン氏は52歳で現役ばりばりだが、音楽学校で若手の指導をしていたことがある。
兵法の道はエンジニアの道
五輪書には当然、二刀流のことが出てくる。様々な兵具を作り、兵具の徳をわきまえることが武士の道だと書いている。ケリーサイモン氏も自身のこだわりを反映させたギターを製作している。
だが五輪書は剣術の書にはとどまらないし、超絶なる心得も前半の「心がけ」を読めば分かる通り、ギター演奏の範囲を超える。どちらもエンジニアやプロジェクトマネジャーの心得集として読める。
五輪書の巻頭に置かれた「地之巻」の「兵法の道、大工にたとへたる事」で宮本武蔵は「大工の統領も武家の統領も同じ也」と書き、大工の仕事ぶりの説明にかなりの行数を割いている。
「大工は大きにたくむと書く」。何か大きなことを考え、その実現のために創意工夫をする。例えば適材を探し、適所に使う。建てたものに歪(ゆが)みがあれば手を打つ。そして大工が統領(とうりょう)になると次のように「人をみわけてつか」うようになる。
「物毎(ものごと)ゆるさゞる事(ささいなことにも気を許さないで細心の注意を払う)、たいゆう知る事(使いどころを知る)、気の上中下を知る事(やる気があるかどうかを知る)、いさみを付くるといふ事(勢いを付ける)、むたいを知るといふ事(限界を知る)、かやうの事ども、統領の心持に有る事也」
エンジニアは「大きにたくむ」し、プロジェクトマネジャーは「人をみわけてつか」い、人に「いさみを付」けたり、人の「むたいを知」ったりする。
さらに兵法を鍛錬することで次の諸事に勝てる(成功できる)。
「善人(よきひと)を持つ事にかち、人数をつかふ事にかち、身をたゞしくおこなふ道にかち、国を治むる事にかち、民をやしなふ事にかち、世の例法をおこなひかち、いづれの道におゐても、人にまけざる所をしりて、身をたすけ、名をたすくる所、是兵法の道也」
「善人を持つ」とは「立派な人物を部下に持つこと」である。「国を治むる」とあるから、将や政治家の心得でもある。
大きい所から小さい所を知る
五輪書は地之巻、水之巻、火之巻、風之巻、空之巻から成り、巻頭の地之巻の記載は兵法の道を歩む心得を、巻末の空之巻は到達点を示している。剣術について身に付けるべきことは水之巻に、敵に打ち勝つための要諦は火之巻にそれぞれ詳しく書いてある。
この構成の意図を宮本武蔵は「大きなる所よりちいさき所を知り、浅きより深きに至る。直(すぐ)なる道の地形(じぎょう)を引きならすによつて、初を地の巻と名付くる也」と述べている。「地形を引きならす」とは「道に玉石を敷きつめて地固めをすること」、すなわち基礎を固めることである。
ケリーサイモン氏の超絶なる心得は地之巻に相当する。水之巻にあたるのは別途出版されている『Kelly SIMONZ式 超絶プレイを可能にするトレーニング・メソッド』(リットーミュージック)などの教則本だろう。
宮本武蔵は剣術、ケリーサイモン氏はギター演奏という「ちいさき所」を究めようと取り組み、考え、書いた。書いたもののうち、剣術や演奏に限らない「地形を引きならす」ための心得は普遍的であり、何かを究めようとするすべてのプロフェッショナルに通じる。
ところで剣術にせよギターにせよ、具体的な「ちいさき所」から学びたい人は多い。岩波文庫の五輪書の解説によると、二刀流の正式相伝者、寺尾孫之丞の流れをくむところでは、五輪書とは別の平易な一巻をまず与え、次に水之巻、火之巻を授け、術を習得した者に地之巻、風之巻、空之巻を与え、免許皆伝にしていたそうだ。
このくだりを読んで突然、プロジェクトマネジメント知識体系ガイド(PMBOKガイド)の指導の順序に関する話を思い出した。PMBOKガイドは第6版まで、最も重要なプロジェクトチャーター作成を含む統合マネジメントが先頭に置かれ、続いてスコープ、スケジュール、コスト、品質などのマネジメントが記述されていた。だが、この順は分かりにくいとして、各論を先に教え、最後に統合マネジメントを教えたところがあった。
道とか心得とか統合とか、抽象的で分かりにくい。剣を振るえ、ギターを弾け、プロジェクトの日程や費用を管理できればそれでいいではないか、とする意見もあるだろう。だが「剣術一通(ひととおり)にしては、まことの道を得がたし」と宮本武蔵は警告している。具体的なハウツーを通り一遍、学んでも大成しないということだ。