「僕の音楽や生き方は日本という国が戦後引きずっている自虐的な思想と真逆のエネルギーを持っている」「ここにきて世界のカオスが一気に巻き起こり、都合よく作られてきた真実」に「色々とボロが出てきた」「そんな時こそ真の超絶が最も重要ではないのか」
痛快な発言は超絶ギタリストのKellySIMONZ(ケリーサイモン)氏がブログ『超絶魂』に書いた一文から抜粋したものだ。「超絶」という言葉を知らなかったが広辞苑を引くと「他よりとびぬけてすぐれること」と出ていた。
ケリーサイモン氏の言葉に感銘を受けてしまい複数の知り合いに冒頭の引用文を伝えた。その際「これは音楽に限らずあらゆることに言える。超絶を目指したい人は挑戦する。目指したくない人、目指せない人は無理をしなくてよい。ただし超絶者の足を引っ張ってはいけない」と付け加えた。
「他よりとびぬけてすぐれる」技術者が重要
しかし世界中で「色々とボロが出てきた」のはそうだとして「そんな時こそ真の超絶」がなぜ重要なのか。
ブログやSNSにおける発言や公開されている経歴からすると、ケリーサイモン氏は30年以上も超絶を目指してギター演奏を究めてきた。これから先、世界がどれほどカオスになってもその姿勢に変わりはないだろう。あちこちで「ボロ」が出れば出るほど真に超絶した演奏は世界の音楽ファンを喜ばせるに違いない。
テクノロジーの世界、テクノロジーを応用するビジネスの世界、双方においても「色々とボロ」が出てきている。そんなときこそ飛び抜けて優れた技術やその応用が重要になる。IT(情報技術)の担い手でいえばシステムズエンジニアやプログラマーやデータモデラーが超絶した存在として求められる。
超絶を目指す人にとり他の分野であっても先を行く超絶者の存在は良き刺激になる。超絶までは目指さない人もカオスにいて「色々とボロが出てきた」中、なんとかやっていかなければならないから超絶者に学ぶ点がある。
そこで年明け以降に見聞きしたライブや音楽家の発言などを通じ、超絶を目指すプロフェッショナルの姿勢について思いを巡らせた。ただし音楽そのものについては知識も語彙も乏しいので語らないでおく。紹介するのはいずれもここ1~2年内に人から薦められて聴くようになったグループや演者である。音楽を聴くだけではなく彼ら彼女らが書いたものや発言まで読み、あれこれ考えてみた。
「相当な自己抑制と節度が必要」
「ただ最高のバンドが最高のライブをする、そんな現場に皆さんは居合わせていることでしょう」
3人組ロックバンドPeople In The Boxの波多野裕文氏は1月15日、ライブの冒頭でこうあいさつした。東京の渋谷にあるライブハウスTSUTAYA O-EASTで開かれた公演の題名は「<< noise >> was NOT cancelled.」であった。あいさつも題名も実に格好良かった。
公演に対するガイドラインを受け、会場には定員数の3分の1だけ聴衆を入れた。2分の1以下にとされて、それなら3分の1にすると決めたらしい。本来なら満員にできるファンを抱えているバンドでありビジネスとしてはなかなか厳しい。この状況に言いたいことはたくさんあっただろうが四の五の言わず「最高のライブ」の実現に専念し、緊張感あふれる精緻な演奏を続けた。
波多野氏を知ったきっかけは、芥川賞作家でITベンチャーの役員を務める上田岳弘氏が対談を希望したからである。芥川賞受賞作『ニムロッド』の題名を上田氏はPeople In The Boxの同名曲から借りた。両氏の対談に編集者として立ち会い日経クロステックに19年掲載した。
波多野氏が上田氏の小説を愛読してきたこともあって対談は和やかに進んだ。案外穏やかな人だと思ったがそれは勘違いで、対談後しばらくして波多野氏が文芸誌『新潮』に寄稿した「自由について」という随筆を読み、相当な過激派だと知った。物事の根本まで徹底して考えるという意味の過激派であり政治的ということではない。
とはいえ過激なことを考え、過激に表明するだけでは芸がない。上田氏との対談で波多野氏は次のように語った。