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 「ところで永井荷風全集を買ったという話を以前されていたと思います。なぜ荷風なのでしょうか。実は昨年(2020年)末あたりから荷風が気になって少しずつ読んでいるところです」。知り合いの好川一(まこと)氏からこんなメールをもらった。好川氏はインターブリッジグループ(ibg)というビジネスコンサルティング会社の創業者で代表である。日本以外の国で仕事をしてきた期間のほうが長いベテランだ。少々変わった人で、夏目漱石や小林秀雄や福田恆存(つねあり)の話をよく持ち出す。

日本の「西洋式偽文明」を批判

 早速返信した。「荷風を読んだのは福田恆存氏が処女作『作家の態度』で詳しく書いていたからです。この本はなかなか分かりにくいのですが(福田氏も認めている)荷風のところは講演をもとにしているので読み易かった。今思い出しましたが評論家の呉智英氏がかなり前に、時代にまったく左右されなかった荷風の姿勢を好意的に紹介していました。それを読んだのは『作家の態度』を読む前でしたがそんなこんなで荷風のことが気になって文庫本を何冊か読み、2005年に『日本の「西洋式偽文明」』と題した紹介文を書きました。題名は荷風の言葉から採っています。荷風の魅力はなんといっても文章です。漱石と同様、日本の近代批判のところが勉強になりますがそれを見事な文で書いたところが素晴らしい」

 荷風は米国やフランスに住み、仕事をし、日本に戻って彼我の差を痛感し、日本のゆがんだ近代化を批判した。福田氏は次のように書いていた。

 「明治の作家のうち荷風ほどヨーロッパと日本との間隙を直視し、意識的にそこに喰ひついていつたものは他になかつたといつてよろしい。その意味で彼ほどヨーロッパの本質を見ぬいてゐたものはなかつたし、また彼ほど日本人の限界を知つてゐたものはなかつたといへます」(「永井荷風」、『作家の態度』所収、中央公論社)

 近代批判の一例として『日本の「西洋式偽文明」』に引用した荷風の文章を再掲する。

 「わが旧時代の芸文はいずれか支那の模倣に非らざるはない。そはあたかも大正昭和の文化全般の西洋におけるものと異なるところがない。我国の文化は今も昔と同じく他国文化の仮借に外ならないのである。唯仔細に研究し来って今と昔との間にやや差異があるが如く思われるのは、仮借の方法と模倣の精神とに関して、一はあくまで真率であり、一は甚しく軽浮である。一は能く他国の文化を咀嚼玩味して自己薬籠中の物となしたるに反して、一は徒に新奇を迎うるにのみ急しく全く己れを省る遑(いとま)なきことである」(「向嶋」、『荷風随筆集(上)』所収、岩波文庫)

 お読みいただければ分かるように荷風は他国から学んだことを責めているのではなく「仮借の方法と模倣の精神」を問題にしている。ITに関わるもろもろのほぼすべては西洋からの仮借である。それはやむを得なかったとしても「徒に新奇を迎うるにのみ急しく全く己れを省る遑(いとま)なき」ままでは「咀嚼玩味して自己薬籠中の物」になかなかできない。新奇のITに飛びつき従来のITを捨てて最初からやり直すといったことが繰り返されてしまう。