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 「私といえども、ただ不用意に外に向かって『わが社は大企業病にかかっています』などと恥を話すはずはない。十分に対策を練り上げて、成算があったからこそ話題にしたのである」

 富士通の社長もNECの社長も「十分に対策を練り上げて成算があったからこそ話題にした」のであろう。

コンピューター事業における創業の精神とは

 それでは富士通やNECの創業の精神とは何だろう。コンピューター事業の創業に着目し、両社が大企業になった経緯を大雑把に振り返ってみる。

 両社はもともと通信機器メーカーとして出発し、日本電信電話公社(現・NTT)に交換機などを納入してきた。その後、コンピューター事業に進出。富士通は米IBM互換機を手掛け、NECは米ハネウェルと技術提携した。日本以外の諸国ではIBMがコンピューター事業でシェア1位、というより独占に近い状態を続けたが、日本だけは国産勢がIBMに対抗し、独占を阻止した。

 このあたりが両社の光輝いていた時代だとすると、その当時の精神に還ればよいのだろうか。当初は米国から学びつつ、価格性能比で米国勢を上回るコンピューターを作り上げた設計者や開発者、そして工場、産業史に残る情報システムのアプリケーションソフトを組み上げたシステムズエンジニア(SE)、稼働後のシステムを維持したカスタマーエンジニア(CE)といった先達の奮闘には敬意を払うべきである。

 その一方、やむを得なかったとはいえ両社の企業文化ないし体質を決めたいくつかの要因が黎明期あるいは黄金期にあったことを忘れてはならない。3点列挙する。

 第一は、官公庁の仕事で事業の土台を築いたこと。電電公社を含め官公庁は国産コンピューターを優先して買う方針を採った。今でも富士通とNECにとって官公庁向け事業は重要である。

 第二は、技術や製品の開発に際し米国勢の後追いをしたこと。富士通が採ったIBM互換機という戦術は、IBM製コンピューターで開発されたアプリケーションソフトを富士通製コンピューターで動くようにするものであった。

 1980年代そして1990年代、IBMが新しい技術体系や製品を発表すると、富士通やNECはIBMが付けた名称の一部を「F」や「N」に差し替え、自社の体系や製品の名称にして発表していた。今で言うとアマゾン・ドット・コムのAWSに対抗し、FWSやNWSを発表するようなことである。

 第三に、サービスが無償という戦術を採った。コンピューターの新製品を売り込む際、「うちの製品を買ってくれたらSEを何人付けます」というセールストークを使った。さらに顧客のアプリケーションソフトの開発を請け負った。IBMは独占禁止法との兼ね合いもあり、SEサービスを有償にするとともにSEは顧客を支援する役割に徹しアプリケーションソフトは顧客が開発するように仕向けた。

後進国の宿命を超えられるか

 往年のIBMは強大であり、上記の戦術採用を余儀なくされたと見ることもできる。実際、前述の通り、富士通とNECのコンピューター事業は急成長した。SEによるアプリケーションソフト開発は有償に切り替え済みである。

 だが、やむを得なかったとしても上記の3点を厳しく総括すると、自ら製品や技術を考案し、コンピューターのプロとして顧客と対等の立場から提案し、SEサービスやソフトウエアで稼ぐ文化や体質ではなかった。少なくとも黎明期はそうではなかった。