筆者が1985年に日経コンピュータ誌の記者になった当時から、ソフトウエア開発業界におけるいわゆる多重下請けは問題視されていた。
ある会社が仕事を同業者に発注し、その会社がさらに別の下請けに発注する。これを繰り返していくと最初の発注者から最後の受注者まで数段階にわたる階層ができる。各段階にいる会社がそれぞれ利益を確保していくので発注者は最後の受注者に直接発注するよりもかなり高い対価を支払う。いや、この書き方は適切ではない。最後の受注者は業界の相場よりもかなり安い対価で引き受ける、と書くべきだ。
三十数年批判しても変わらないのは需要があるから
こうした多重下請けについて日経コンピュータは何度も何度も記事で取り上げ、批判してきた。同僚が『明日なきソフトウエア業界』という題名の特集を書いたこともあり、そのときは知り合いのソフトハウス(当時はこういう呼び名だった)の経営者数人から「我々ばかりたたいて何の意味があるのか」といった趣旨のことを言われた。
その後、日経コンピュータExpress、ITpro、日経クロステックといったオンライン媒体でも多重下請けを批判し続けてきた。筆者自身、2015年に『どんづまりから見上げた空 ~ 我がITサバイバル年代記』という題名の寄稿連載の査読を手掛けた。
しかし一向に問題は解消されない。ソフトウエア業界は引き続き存在しており、明日が来なかったことはない。つい最近、ある会合で多重下請けをどう思うかと聞かれ、「必要悪」と答えた。多重下請けがよいとは言えないものの、続いているのは需要があるからだ。需要に対して供給しようと考える経営者が出てくるのは当然と言える。
需要とは「ソフトウエア開発を手掛ける技術者を集めたい、しかも臨機応変に」ということである。それに応えようとすると多重下請けになってしまう。
どのくらいの開発案件が出てくるのか予測するのは難しい。ある案件が来たときに、自社の社員だけで開発しきれないことが多い。他社の技術者に応援を頼むことになるが、直接の付き合いがある会社に当たるだけですぐに見つけられるとは限らない。
実際には「これこれしかじかの開発案件がある、こういうスキルを持った技術者がいないか」といった案件情報を知り合いの同業他社に流す。案件情報を受け取った各社は自社に適当な技術者がいなかった場合、それぞれ知り合いの同業他社に案件情報を流す。これを何度か繰り返していくうちに該当者が見つかる。これでめでたく多重下請けが成立する。
以上のように技術者を融通し合う仕組みは一種のエコシステム(生態系)である。お互いからは直接の取引先しか見えないので、仕組みの全体はブラックボックスになっている。何がどうつながっているかよく分からないが、この箱に案件情報を投げ入れると技術者を調達できるというわけだ。
多重下請けを無くすためには根強い需要に別の仕組みで応えるしかない。前述のブラックボックスの代替策を出さない限り、今まで通りのやり方で供給が続く。「多重下請けを続ける会社は生き残れない」といくら批判しても何も変わらない。そのことは残念ながら日経コンピュータの長年の報道が証明している。