「『日本のAI(人工知能)は品質が高い』といわれるようにしていく。それが日本の勝ち筋であり、だからこそ頑張りがいがある。現場は色々大変かもしれないが、それでもやりきってきたのが日本だと思う」
日本IBMの山田敦執行役員AIセンター長は2022年6月8日に開いた「IBM調査に基づくAI倫理に関する記者説明会」で筆者からの質問にこう答えた。山田氏は東京基礎研究所で10年ほど研究をした後、サービス事業部門に移り、データサイエンティストとして300を超える案件で顧客を支援してきた。その経験を踏まえ、「AIを含むデータ利用で日本を再び輝かせたい」と語る。
筆者は次のように質問した。「AI倫理が重要ということは分かる。だが、エシックス、アカウンタビリティー、ガバナンス、コンプライアンスといった話は日本企業になかなかうまく入らない。これまでも似た取り組みを散々やってきて現場はくたびれている。どうしたものか」
自分で質問しておきながら改めて原稿に書いてみると意図が分かりにくい。とはいえ大事なことだと考えているので上記のやり取りになった経緯を振り返ってみる。
AI倫理は実践の段階に入った
記者会見は米IBMが実施した調査結果の報告と、IBM自身のAI倫理への取り組みおよび研究活動の説明であった。米IBMは1年前の2021年5月から7月にかけて全世界でAI倫理について企業の経営層1200人を対象に調査し、“AI ethics in action”(邦題は『AI倫理の実践』)という報告書をまとめた。
報告書によると経営層はAI倫理が実践の段階に入ったとみている。ただし経営層の意欲と企業の実際の行動には大きな隔たりがある。この隔たりを埋めるには経営層の注力が求められる。例えばAI倫理を実践する推進役は、経営層を含むビジネスリーダーになっていく傾向があると調査の結果分かった。
IBM自身はAI倫理に関する原則と実践のためのガイドラインをまとめ、ガバナンスのためのAI倫理委員会を設置し、同社の製品やサービスにおけるAI倫理のリスクを評価している。AI倫理に関する全社研修も実施した。
調査結果にもIBMの取り組みにも異論はない。しかし説明を聞いているうちに「日本では形だけ整えてお茶を濁すことになりかねない」と感じて前述の質問をした。
AI倫理とは何か
日本企業はAI倫理の活動をやりきり、AI品質の向上という勝ち筋を進んでいけるのか。その検討の前に「AI倫理」とは何かを確認しておこう。
IBMの報告書からAI倫理の定義と読める箇所を引用する。「AI がもたらす便益を最適化することを目指す」「そのために人間を主体に据え、そのウェルビーイングの実現を目指し、すべての利害関係者にとって不利益となるリスクの軽減を図る」。つまりAI倫理の実践には次の2点を含む。(1)何らかの便益をもたらす。(2)データの使い方について利害関係者から非難されるようなことがあってはならない。
製品やサービスにAIを組み込み、便益を最適化し、顧客をはじめとする利害関係者のリスクを軽減できれば、それは品質の高い製品やサービスといえる。山田氏がAIの品質に言及したのはそのためだ。
次にAI倫理の実践とは具体的にどういうものか。説明責任、透明性、ダイバーシティー・無差別・公平性、プライバシーとデータガバナンス、人間の主体性保護と監視、技術の堅牢(けんろう)性と安全性、環境的・社会的なウェルビーイング、といったもろもろを担保することだ。
これら7点は欧州委員会(EC)が2019年にまとめた“Ethics guidelines for trustworthy AI”に記載された原則である。IBMの調査によると回答者の50~59%が7原則のそれぞれに賛同したが、実践していると答えた割合は13~26%にとどまり、「企業の意欲と実際の行動にはまだ大きな隔たり」があった。
AI倫理を実践するアクションとして山田氏は「適切な戦略の中に倫理的なAI のプラクティスを組み入れる」(原則やガイドラインの作成)、「倫理的なAI 実行のためのガバナンス・アプローチを確立する」(AI倫理委員会の設置・運営)、「AI のライフサイクルに倫理を組み入れる」(開発標準への取り組み)、といった順に進めることを勧めた。
なるほどと思う一方で本当に実践できるのかと疑ってしまう。すでに企業においては品質、環境、情報セキュリティー、内部統制、人権、コンプライアンスといったテーマごとに原則やガイドラインが用意され、ものによっては法令もあり、ガバナンスのための委員会が置かれ、現場の諸活動はテーマごとに監査を受けている。ここへAI倫理の活動を追加するのは屋上屋を架すことになりかねない。
しかも上記の一連の取り組みによって日本企業が「何らかの便益」を得て、リスクを減らせたのかと振り返るとかなり怪しい。原則を掲げて厳しく監査すればするほど現場の作業負荷は高まり、規定の書式に合わせて報告はするが実際には違うことをする、場合によっては手を抜く、といった事態になっていると筆者はみる。
品質についてだけは日本の製造業がかつて成果を上げた。排出ガス規制を守ることに注力した結果、日本の自動車メーカーが国際競争力を高めた話は有名である。とはいえ50年も前の話であり、かつて称賛されたTQC(全社的品質管理)活動が日本の職場や人材を痛めた、という指摘もここへ来て出ている。