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 「災害の話がたえず伝えられるために、ふつうの人間は、うっかりするとこれを現実のものとは感じなくなってしまう。(中略)どの新聞を見てもこうもでたらめな報道ばかりというのでは、一般読者が嘘をうのみにしても、判断をくだせなくても、それを咎めることはできまい。ほんとうはどうなっているのか、誰にもよくわからないとなれば、なおさらかんたんに狂気じみた信念にしがみつくことになる。(中略)要は自分の属する組織が他の組織を圧倒しているという気持を味わいたいだけであって、そのためには事実を調べて自説の根拠を確かめるより、むしろ敵をやっつけるほうがかんたんなのだ。(中略)論争はすべて討論クラブの水準のものでしかない。どの論者もきまって自分が勝ったものと信じているのだから、結論など出るはずはない」

 ここ1~2カ月、SNS(交流サイト)上の投稿や罵倒の応酬を眺めていて冒頭のような感想を抱いた。「災害の話がたえず伝えられる」の「災害」には新型コロナウイルスの流行に加え、人種差別や人権弾圧、国同士の対立も含む。筆者が見ているのはFacebookとTwitterで、どちらのタイムラインにも「災害の話」が流れてくるが、もともとはそれほど多くなかった。

 Facebookの場合、仕事で知り合った方々が主に投稿しているため経営やITの話題が出てくる。Twitter投稿の大半は当初3人組だったが今は2人組になっている女性アイドルのファンによるもので、そうなったのはファンの方々を次々にフォローしていったからだ。Facebook投稿を読んで自分なりにあれこれ考え、Twitter投稿を読んで「ここにも同志が」と喜んでいたが、「災害の話」からは学べないし、そもそも楽しめない。

 冒頭の文章にあった「どの新聞を見てもでたらめの報道ばかり」は「タイムラインを見てもでたらめの主張ばかり」と読み替えてほしい。インターネットメディアやテレビ番組などに流れた発言や、それらに対する賛意または反論がタイムラインに流され、続いて元の発言、賛意、反論のそれぞれを「でたらめ」と批判する投稿が加わる。

 「狂気じみた信念にしがみつく」という表現でそうした投稿者全てをひとくくりにするのはあまりにも失礼だが、例えばまだ「ほんとうはどうなっているのか、誰にもよくわからない」新型コロナについて何らかの姿勢を固め、明確に賛意ないし反論を示す様子を拝見していると、何を根拠にここまで言い切れるのかという感想を抱いてしまう。新型コロナへの不安を語る投稿も散見されるが、そちらに対しても「いくらなんでもそこまでは」と思ったりする。

 「自分の属する組織が他の組織を圧倒しているという気持を味わいたいだけ」というくだりに出てくる「組織」は国や企業というより、もっと曖昧な集団を指す。例を挙げると「日本は新型コロナ対策をうまく遂行できた」という一派と「日本の対策は遅く、失敗した」という一派がある。双方が持論を述べ、言い争うものの「どの論者もきまって自分が勝ったものと信じているのだから、結論など出るはずはない」。