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「AI人材 生産性を左右」
「経財白書 2割超押し上げ」
「企業に育成投資促す」

 8月3日付日本経済新聞夕刊一面に掲載された見出しである。3日の閣議に提出された2018年度年次経済財政報告(経済財政白書)を大胆に要約している。

 記事冒頭の文を読むと次の点が強調されていた。

  • AI(人工知能)などの新技術の進化により、機械がこなせる業務が増えてきている
  • だが日本では活用が遅れている
  • AIなどの導入と同時に、新技術を活用できる人材を育成する投資を進める必要がある

 この記事を読んで『AIを止めれば生産性が上がる』という題名を思いついた。前回の本欄記事に付けた題名を直したものだ。

 前回記事の最後に題名に触れ、「技術ではなく使い方に問題があるわけで『ExcelとRPAの不適切な利用を止めれば生産性が上がる』がよいのかもしれない」と書いた。今回も『AIの不適切な利用を止めれば生産性が上がる』と言う話か、と思われた読者がおられるだろうが、そうではない。

なぜAIと言いたくないのか

 「AIという言葉を使いたくない」

 7月末のある日、日本を代表する機械学習の研究者お二人の話を聞くことができたが、お二人ともこう仰っていた。

 仕事の一環でお一人にお会いし、もう一人については講演を拝聴した。話の中でちらっと「AIとは言わない」と触れた程度で、ことさら強調していたわけではないが、同じ日に続けて似た発言に接したことから印象に残った。

 お二人の思いをやや乱暴にまとめると次のようになる。

 色々な立場の人が色々な技術をAIと称している。AIとは言えない技術までAIと呼ばれる。いや、そうとも言い切れない。そもそもAIとは何かが曖昧なままだから。とにかく私としてはAIと言いたくない。

 お二人のうち一人は「AIは凄い、ということではなく、機械学習、中でも劇的に進化した深層学習について、どういう仕組みで何ができるのか、政府、自治体、企業を率いる方はぜひとも本質を理解してほしい」と訴えていた。

 本質を説明しようとすると、どうしても数式を使うことになる。ところがたった一つであっても数式を見せた途端、「私には難しい」と腰を引く人が諸団体の中枢にいるそうだ。

 もう一人の研究者はもっと痛烈な言い方をした。「沢山の研究者から研究テーマが私のところに送られてきますが、AIという言葉を使っていたら検討しません。曖昧な言葉を使って研究などできませんから」。

新語を見たら眉に唾を

 この研究者に「AIをコンピュータと読み替えても意味が通る文章が多いですからね」と言ったところ、笑ってくださった。

 年初にそのことに触れた一文を日経ビジネスオンラインに書いた。