現実にある何かをコンピューターでそっくり再現する「デジタルツイン」。何だか楽しそうな取り組みである。飛行機や工場、あるいは都市のデジタルツインを作り、設計の検証をしたり保守に役立てたり、人の移動をシミュレーションしたりする。話を聞くとなるほどと思う。
だがなるほどと思えないデジタルツインもある。再現する対象を人間にした場合だ。人間のモデルを作っておき、センサーをたくさん使って集めた人の生体データを登録していく。これで当人のデジタルツインができるという。
健康状態に関するツインまではよいとしても、人生で体験してきたこと、住んだ場所や旅行した場所、書いた文章や描いた絵などを機械学習させれば、当人と同じように物事を判断したり書いたり描いたりするツインができるという。眉につばを付けたくなる。
「自分のデータをデジタルツインにアップロードし続ければ不老不死と同じ」(本人が死んでもデジタルツインが生きている)とまで言われると、あなたはどれだけ自分が好きなのか、そこまでして自分を残したいのか、と言い返したくなる。
そうむきにならなくても、仕事を手伝ってくれる相棒のようなデジタルツインができたら便利ではないか、となだめられたら「私の仕事は原稿を書くことでありコンピューターにはこなせない」と答えよう。
ところが不気味なことに機械学習を使うとコンピューターに文章を書かせたり絵を描かせたり会話をさせたりできる。しかも人間の仕事なのかコンピューターの仕事なのかを見抜けなくなってきた。
あたかも自分のように絵を描くデジタルツインを開発

抽象画のように見える画像はアーティスト、長谷川雅彬氏の新作で“What Was, Is, Or Will Be”と題されている。かつてあった何か、今ある何か、将来出てくる何か、といった意味であろう。
長谷川氏はスペイン在住で2018年には約2000平方メートルもの作品をスペインのサパドレス美術館向けに制作した。なぜか格闘家でもありグラップリングの大会に出場したりしている。
「抽象画のように見える画像」と変な表現をしたのは実はこの新作は絵というより長谷川氏のデジタルツインだからである。長谷川氏のように抽象画を描くアルゴリズムを開発、長谷川氏がこれまで描いた絵のパターン、氏に影響を与えた他のアーティストの作品パターン、さらには氏に影響を与えた音楽やサウンドのパターンを機械学習させた。
便宜上このツインを「長谷川2号」と呼ぶ。長谷川2号そのものが長谷川氏の新作ということになる。長谷川2号はインターネット上で常時動いており新たな抽象画を描き続けている。関心のある読者は長谷川氏のWebサイト(masaakih.com)に行き、「ai」のページを見ていただきたい。