フロアの照明が消え、真っ暗になった途端、詰めかけた聴衆は一斉に黙り込んだ。しわぶき1つ聞こえない。これからロックバンドが登場するライブハウスにもかかわらず静まり返ったままだ。
通常なら客電が落ちると歓声が上がったり口笛が鳴らされたりメンバーの名前が呼ばれたりする。手拍子を打ったり足を踏み鳴らしたりしてバンドの登場を待つことも多い。だが3人組がステージに現れても聴衆は押し黙っていた。
1曲目の演奏が始まる。ピアノが中心の物静かな美しい曲だが聴いているとなぜか胸騒ぎがしてくる。「そう、この世界を正常にするだろう」と歌われても逆のことが頭に浮かぶ。機械がゆっくり動くときに発するような大音が鳴ってその曲はいきなり終わった。誰も拍手をしない。声も出さない。
2曲目が始まり終わった。依然として聴衆は黙っている。1、2曲目は新曲だったからだろうか。演奏が進み、メンバーが「ありがとう」とつぶやくとそれが合図であったかのように聴衆は静かに手をたたいた。
ロックの公演であればよくある、演者と聴衆の掛け合いも演者が聴衆をあおる行為も皆無であった。3人組は演奏に集中し、きれいで精密だがもの悲しいところもある楽曲を届けてくる。聴衆はひたすらそれを聴く。フロアに緊張感を漂わせたまま公演は進んでいった。
こう書いてくると何とも息苦しい場だったように読めたかもしれないがそうではない。気になってしまい周囲をきょろきょろと観察したのだが、大騒ぎこそしないものの聴衆は一緒に歌ったり体を揺らしたりそれぞれのやり方で音楽を味わっていた。
中盤になって演奏をやめ、メンバー3人がステージ上で話を始めた。演奏とは好対照にだらだらと雑談が続くが聴衆は楽しそうに聞いており声をかける人もいた。演奏中はバンドも聴衆も真剣勝負、途中で息抜きをするといった流儀なのだろう。
芥川賞作家とロックミュージシャンの不思議なつながり
以上はPeople In The Boxというロックバンドが2019年9月7日に開いた公演会の様子である。彼らは先ごろ「Tabula Rasa」という新しいアルバムを発表し、全国各地を回るライブツアーを実施した。9月7日がツアーの初日だった。
なぜこの公演に行ったのかと言えば、People In The Boxのリーダーである波多野裕文氏と、IT企業の役員で芥川賞・三島賞作家でもある上田岳弘氏との対談に立ち会い、その内容を記事にまとめる仕事をしたからである。
上田氏はPeople In The Boxのファンで芥川賞受賞作『ニムロッド』の題名をPeople In The Boxの曲「ニムロッド」から採った。一方、波多野氏は上田氏の愛読者で全作品を読んできた。ただし両者は会ったことが全くなく日経 xTECHの対談が初めての出会いになった。初対面とは思えないほど話が弾み、隣で聞いていて音楽と小説だけを通じてここまで互いの考えが通じ合うのかと驚かされた。
両者は時代認識も一致している。テクノロジーによって世界は便利かつ高度になったものの、そこで生きることは息苦しい。上田氏の最新作『キュー』は一言で説明ができない複雑な作品だが、テクノロジーの普及が行き着くところまで行った世界の終わりを描いた小説でもある。