2週間に1回、本欄を執筆するために「これを書いたらどうか」というネタをまとめたメモを作っている。もう5~6年前からA2の方眼紙に書き込んできたので、メモをざっと見渡すと40~50件のネタが並んでいる。
もっともいつもメモから選んでいるわけではなく、執筆する数日前に聞いた話や読んだ資料をネタにして書くことのほうが多い。せっかくまとめたメモだが、そこからネタを選んで関連する取材の記録や資料を探し、読み直してから書くのは結構時間がかかる。
今回は直近のネタはなく、メモから探そうとした。だが体調が今一つなのか、メモの内容が頭にすっと入ってこない。どうしたものかと考えているうちに「自分が初めてWebに書いた記事は何だっただろう」という疑問が頭に浮かんだ。
「動かないコンピュータが増えている」。そんな題名ではなかったかと思い出し、検索してみた。果たして2001年3月13日付の「記者の眼」欄に「増える『動かないコンピュータ』」と題した一文を書いていた。およそ22年前の記事だ。
関連記事: 増える「動かないコンピュータ」記事一覧をさかのぼってみると上記の記事よりも前にも記者の眼に記事を書いていた。Webサイトで情報発信をするようになった最初の頃に、動かないコンピュータについて書いてかなり読まれた印象があった。だがWebに初めて書いた記事ではなかったらしい。
22年前の拙文は次のように書き出されていた。
「動かないコンピュータ」が増えている。
動かないコンピュータとは、かつて日経コンピュータで掲載していたコラムの名前で、情報システムを巡るトラブルを意味する。例えば、情報システムの構築プロジェクトが大きく遅れたり、途中で打ち切りになる。稼働させたシステムがダウンしたり、誤った処理結果を出してしまう。これらが、「当初の計画通りに動かないコンピュータ」だ。
「かつて日経コンピュータで掲載していた」とある。次のような事情があった。同じ22年前の記事の後半から引用する。
ところで、日経コンピュータのコラムの「動かないコンピュータ」は、1996年末で掲載を打ち切った。日経コンピュータ創刊以来の人気コラムだったにも関わらずやめてしまったのは、一定以上の質の記事を定期的に掲載することが困難になったからである。かつての毎号掲載が、隔号になり、連載末期は3号に1回掲載するのがやっとの状態だった。
日経コンピュータが動かないコンピュータを封印して丸4年が経過した。ここにきて状況が変わってきた。冒頭に述べた通り、動かないコンピュータが増加していると判断、2001年から封印を解くことにした。2001年から連載を始めた新コラム「誤算の検証」がそれである。
当時筆者は日経コンピュータ誌の副編集長を務めており、「動かないコンピュータ」を封印した編集長と相談し、このコラムの再開を決めてもらった。「封印を解く」と大げさに言うなら、動かないコンピュータという名称のまま連載を再開すべきであったが、2001年10月22日号に再開したときは「誤算の検証 動かないコンピュータ」とした。その後2005年6月13日号から「動かないコンピュータ」というもともとの名称に戻し、現在も連載を続けている。
コラム名に迷走感があるので、当時のことを思い出してみよう。「動かないコンピュータ」が言葉としてあまりにも強く、取材がやりにくくなっていた。報道した後、「ちゃんと動いている、なんなら見に来てもらいたい」と取材先から申し入れをいただくこともあった。
思い切って動かないコンピュータを封印し、代わりに「危機からの脱出」という連載を始めた。「脱出」したのだから前向きではないか、という理屈であった。だが、脱出していない事例が見つかるとそれを書く必要があり、「混迷の構図」という別の名前で連載を始めたこともあった。
だが「危機からの脱出」も「混迷の構図」も「動かないコンピュータ」という名称を超えられなかった。そこで再開することにしたわけだが「誤算の検証」を冠した理由が今になってみると思い出せない。
「動かない」と決めつけているわけではないし、何かを検証する前向きな記事である、と受け取ってもらえると考えたのだろうか。今となって読み返し、考え直してみると、説得力がまるでない。