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 山嵜一也氏の連載第4回は、ボブスレーなどそり競技の会場となった「平昌五輪スライディング競技場」を取り上げる。1998年長野五輪で使われた「スパイラル」は来年から製氷休止となり、アジア唯一のそり専用競技場となる見込みだ。新設会場の五輪レガシー利用の課題を探る。(日経 xTECH/日経アーキテクチュア)

氷のトラックの上をそりに乗った選手が時速130kmで目の前を走り抜ける。凍えた指先だとシャッターのタイミングがうまく取れない。そんななか、ジェイオン・バン氏の渾身の一枚 (撮影:ジェイオン・バン)
氷のトラックの上をそりに乗った選手が時速130kmで目の前を走り抜ける。凍えた指先だとシャッターのタイミングがうまく取れない。そんななか、ジェイオン・バン氏の渾身の一枚 (撮影:ジェイオン・バン)
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 平昌(ピョンチャン)五輪開催が近づくにつれ、にわかに1998年に開催された長野五輪のメディア露出が増えた。2018年は、長野五輪開催からちょうど20年の節目の年となるからである。長野五輪では多くの日本人選手がメダルを獲得し、大会は盛り上がった。しかし、大会後、一部の市町村では財政負担に苦しみ、最近になって当時の借金が完済された事実が話題になっていた。

 そのニュースのなかで、「長野五輪スライディング競技場」(通称、スパイラル)が平昌五輪開催後に使用が中止されるとあった。この会場を利用するリュージュ、ボブスレー、スケルトンの競技人口は少ない。維持費負担の観点から、国内唯一の競技拠点として国営化を望んだ長野市に対して、国は今まで通りの限定的な支援にとどめた。その判断により長野市は氷を張るのをやめ、競技利用の中止を決めた。このことからも五輪競技場のレガシー活用の難しさを示している。五輪競技場の寿命は20年なのだろうか。

長野冬季五輪でボブスレー・リュージュ会場となったスパイラル。長野五輪のレガシーであるスパイラルが閉鎖されることで、平昌五輪スライディングセンターがアジア圏唯一のそり専用競技場になる。2016年10月撮影(写真:共同通信社)
長野冬季五輪でボブスレー・リュージュ会場となったスパイラル。長野五輪のレガシーであるスパイラルが閉鎖されることで、平昌五輪スライディングセンターがアジア圏唯一のそり専用競技場になる。2016年10月撮影(写真:共同通信社)

 日本の技術力の粋を集めた“下町ボブスレー”を採用するかどうかで話題になったボブスレー女子ジャマイカ代表チーム。彼女たちが滑走したのがこの競技場である。常夏の国、ジャマイカで冬季五輪を狙おうとするストーリーは映画の題材にもなったが、そして出場できてしまうところに競技人口の少なさが表れている。そのうえ、練習拠点となる競技場が少ないとなれば、競技普及の裾野も広がらず、競技者人口も少なくなり、強化は難しくなる。まさに“負のスパイラル”に陥る。

国境をまたいだ五輪?浮上した長野スパイラル活用案

 2014年12月に開催コストやレガシーとしての競技場が開催都市にとって負担になっていることを懸念したIOC(国際オリンピック委員会)は「アジェンダ2020」という改革案を承認した。この案により都市や国家をまたいで五輪を開催することが可能になり、平昌五輪のスライディング競技が長野五輪レガシーであるスパイラルで分離開催するのではないかと報道された。

 当時の平昌組織委員会は、委員長が辞任し、また巨額の財政負担を巡り、開催地自治体である江原道(カンウォンド)と韓国政府と激しく対立していた。こうした時期だったため、平昌五輪の長野分離開催案が、まことしやかに日本では報道された。しかし、今回の視察に同行してくれた平昌五輪組織委員会のジェイオン・バン氏に当時のことを尋ねると、「それはあり得ない選択だったよ」と一笑に付された。