昭和から平成へと元号が変わり、後にバブルと呼ばれた空前の好景気の最中にあった1989年。国産技術への自信を持ち始めていた日本のコンピューター業界を揺さぶる事件が起こった。国産OS「TRON」プロジェクトの中核だった「BTRON」が日米貿易摩擦で取り上げられたのだ。
TRONは東京大学の坂村健教授(当時、現・東洋大学教授)が1984年に提唱した独自OSの開発プロジェクトだ。通商産業省(現・経済産業省)や文部省(現・文部科学省)が後押しし、NECや富士通などコンピューター大手、松下電器産業(現・パナソニック)や東芝、三菱電機など国内エレクトロニクス企業が多数参画する、文字通り日本の産官学が結集した「日の丸OS」プロジェクトだった。
産業用の「ITRON」など様々な用途向けが開発されたが、中核はビジネスや教育現場に向けた「BTRON」だった。文部・通産省が共管する財団法人「コンピュータ教育開発センター(CEC)」が小中学校に導入する教育用PCとしてBTRONベースの標準仕様作りに乗り出すなど追い風も受けていた。
しかし市場投入を前にBTRONにケチがつく。1989年4月、日本政府と日米貿易摩擦交渉で対峙していた米通商代表部(USTR)が非関税障壁の1つとしてBTRONを取り上げたのだ。
実際にはBTRONは日米交渉の議題から外れるが、これを機にBTRONを巡る課題が噴出する。通産省や文部省は「CEC仕様は教育用PCの1つにすぎず、学校や教育委員会は自由に選定できる」と説明に追われた。この経緯を本誌は「BTRONベースの教育用PC、標準化は事実上不可能に」と報じた。