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 バイオテロ対策のため警察庁科学警察研究所(科警研)内に2003年に設立された生物第五研究室の初代室長である安田二朗・長崎大学熱帯医学研究所教授のインタビュー。日本のバイオテロ対策や生物兵器の現状について聞いた前編に続いて、後編となる今回はバイオテロ対策製品の研究開発動向などを尋ねた(インタビュー前編)。

(聞き手は橋本 宗明=日経バイオテク編集長)


安田さんが生物第五研究室の室長に着任した2003年当時の状況はどのようなものだったのでしょうか。

 1995年の地下鉄サリン事件や2001年の米国の炭疽菌郵送事件などを受けて、内閣官房が中心になって各省庁で体制を整備しており、警察庁も警視庁と大阪府警にNBC(Nuclear:核、Biological:生物、Chemical:化学物質)テロ対応の専門部隊を設けていました。米国の炭疽菌郵送事件を模倣した白い粉郵送事件が日本国内で発生したころは、地方衛生研究所などが不審物を検査していましたが、警察が生物剤を現場で迅速に同定できる体制を整えつつあったのです。

※NBCテロ対応の専門部隊はその後、北海道、宮城、警視庁、千葉、神奈川、愛知、大阪、広島、福岡の9都道府県警に拡大した。

米国の見よう見まねで装備を導入

 当時の装備は、宇宙服のようなマスクの付いた防護服を着用して、微生物などが入らないよう防護服の中の気圧を高くするためのボンベを背負って作業するというものでした。空気中にいる微生物が何かをその場で調べられるよう、微生物を捕集して遺伝子検査する装置も配備されていました。警視庁などには現場で化学的な検査ができる化学防護車もありました。化学的な検査をして「どうも生物剤のようだ」となると、毒素や病原微生物の抗原と結合する抗体を用いた「イムノクロマト法」という検査も行えるようになっていました。

 ところが、この遺伝子を検査する装置が厄介だったのです。研究室で使うリアルタイムPCR(Polymerase Chain Reaction:ポリメラーゼ連鎖反応)という機器を屋外で使えるような装置に組み込んだだけだったので、防護服にごわごわの手袋を着けて、直径1mm程度のガラスの細い管にサンプルを入れる作業をしなければならない。NBCテロ対応専門部隊による研修の様子を見ていると、キャピラリー(毛細管)がぼきぼき折れてうまく検査ができない。しかも、どういう遺伝子を対象に検査しているのかが開示されておらず、ブラックボックスのまま買わされて、マニュアル通りの検査をしろというような代物でした。

 一方のイムノクロマト法の検査装置は遺伝子検査に比べて操作がシンプルであり、手袋をすると扱えないという問題は無かったのですが、感度に問題があると思いました。サンプル中に毒素がたくさんあれば検出できますが、微量だとほとんど検出できなかったのです。こういう装備を結構な予算を掛けて米国から買っていたのです。

米国の見よう見まねで体制を整備する過程にあったので、そのような問題があったのですね。

 そもそも米国はテロが起こると、その対策にものすごい予算を投入する。2003年当時、バイオテロ対策費だけで6500億円を投じていました。当時の日本の対策費は5億から6億円だったので、その1000倍もの予算です。米国土安全保障省(Department of Homeland Security)という省庁も新しく設置して対策に力を入れていました。

 それで作ったのが、「BioWatch」という大気中の生物剤監視システムです。空気中の微生物などを採取する装置を、例えばスーパーボウルの会場とか、ワシントンD.C.の国防総省の地下鉄駅とかに設置して、1日1回ラボに運んで遺伝子検査をするというものです。これを全米30以上の都市に配備したわけですが、その導入コストは1都市当たり初年度100万ドル。2年目以降も年間75万ドルのランニングコストが掛かるため、コストも手間もかかると不評でした。

 そこで、米国ではBioWatchを改良して、自動化した装置を開発しました。大気を集めて粒の大きさで選別し、毒素があるかどうかを免疫的な検査で調べて、陽性が出たら遺伝子検査をします。それで陽性なら警報が出て、無線で各所に伝わるというものです。

 ランニングコストは1台あたり週1万ドルとものすごく掛かりますが、サンプルをラボに運ぶような手間は不要になります。ただ、感度を高くすると誤報というか偽陽性の警報がしょっちゅう出るし、感度を低くすると本当にあった時に検出できないという問題が生じる。何よりコストが掛かり過ぎるとマスコミなどに叩かれて、今は運用していません。確か2年ぐらいで運用をやめたと思います。