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 「異能」ともいえる際立った能力や実績を持ち、まわりから一目置かれるエンジニアを1カ月に一人ずつ取り上げ、インタビューを掲載する。今月取り上げるのは、ゲーム開発環境「Unity」の日本での普及の立役者である大前広樹氏。以前はゲーム開発企業でプログラマーとして活躍していた。今回はゲームプログラミングとの出会いや米国の高校への留学体験などを聞いた。

(聞き手は大森 敏行=日経 xTECH/日経NETWORK


 ゲームとの出会いはぼくが6歳くらいのときです。隣の家に任天堂の「ファミリーコンピュータ(ファミコン)」があり、ゼビウスをプレイして「なんだこれは」と思ったのが最初です。それで小学1年生のときの誕生日のプレゼントでファミコンを買ってもらいました。それからずっとゲーム三昧の毎日でしたね。

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 当時はテレビゲームは何でもやっていました。最初に買ってもらったのは、たしか任天堂の「エキサイトバイク」というゲームだったと思います。もちろん「スーパーマリオブラザーズ」も好きでした。「さんまの名探偵」といったちょっと変わったゲームも気に入っていました。

 自宅が秋葉原に近かったので、兄と2人で手分けをしてお小遣いを投資しまくって、いろんなゲーム機を買いました。「PCエンジン」というゲーム機では「THE 功夫」や「カトちゃんケンちゃん」といったゲームで遊んでいました。

 特にメサイアという会社のゲームがすごく好きでした。「飛装騎兵カイザード」などです。ぼくが小学2年生くらいのときですね。

 「メガドライブ」というゲーム機でも遊びました。例えば、ハイドライド3というゲームをメガドライブ向けにリメイクした「スーパーハイドライド」というゲームがありました。このゲームは、最初は何をしていいかがわかりません。目的がわからなくて何をするか探すところから始めるのです。そういうゲームが好きでした。

 これはすごくシビアなゲームでした。最初の頃は、1日中戦っていないと宿代が稼げなくて、宿に泊まれなくて死んでしまう。1日死ぬ思いで戦うとようやく宿代が稼げるという感じのバランスです。何をするのかわからないゲームなのに、とりあえず死なないために宿代をひたすら稼ぐところから始まります。なかなかタフで面白いゲームでしたね。