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 「異能」ともいえる際立った能力や実績を持ち、周りから一目置かれるエンジニアの素顔に迫る。今月は、NTTコミュニケーションズでクラウドサービスを開発しているネットワークエンジニアの川上雄也氏。「日本ネットワーク・オペレーターズ・グループ(JANOG)」などのコミュニティーでも目立った活躍をしている。今回は、コンピューターとの出会いから今までの人生について聞いた。なお、同氏はNTTグループの組織見直しにより7月1日付けでNTT Ltd. Groupに所属が変わったが、引き続き同じ業務を担当している。

(聞き手は大森 敏行=日経 xTECH/日経NETWORK)


前回から続く)

 初めてコンピューターに触れたのは、中学生の頃にお絵かきソフトを使っていたときです。高校の時期には、ゲーム音楽を耳コピーでMIDIデータにしていました。それで作曲をやって、同人CDを作ったりしていました。

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 Webサイトも作っていました。MIDIファイルを公開して、カウンターなどを設置していました。大学に入るときにはPHPを少し書けるようになっていました。

 2005年に東京大学の理科1類に進学しました。それまでコンピューターを触ってはいましたが、プログラミングを本格的に始めたのは20歳くらい、大学2年の後半からです。

 大学ではJavaやCでスタックやキューを実装するという授業がありました。アルゴリズムの課題が出るのですが、全然分かりませんでした。そのときは友達に手伝ってもらっていたくらいのレベルです。

 3年生から工学部 電子情報工学科に入りました。ネットワークをテーマにした江崎浩先生の研究室です。先生のIPやTCPの授業を聞いて「IPはすごい」と感銘を受け、僕はこれをやっていこうと思いました。

 大学4年生の4月にプログラミングのアルバイトも始めました。きっかけは、2008年3月にドワンゴで開かれた「1000speakers:3」というイベントです。自分は「ポエム共有ソフトを作ろう P2Pアプリケーションの基礎と実装」という発表をしました。

 当時は「Winny」などのP2Pアプリケーションが話題になっていて、P2Pアプリケーションの実際の実装はこんな感じだと解説しました。そのときに当時のドワンゴで研究開発のトップだった方に「アルバイトを募集しているからおいでよ」と誘われました。

 ドワンゴではニコニコ動画のバックエンドをC++とPHPで開発していました。アルバイトをしていたのは1年と少しの期間です。修士課程に進学して時間がとれなくなって辞めました。

 2009年に同じ研究室の大学院に進みました。自分は仮想マシン系の研究をしていました。ルーターの余ったコンピューティングリソースを使って、何か面白いことができないかというものです。