05+06 岩元禄、吉田鉄郎
お役所が生んだ「前衛」の建築家たち
磯 5人目は逓信省の建築の話をしてもいいですか。岩元禄(1893~1922年)とか。
井上 逓信省だと、私は吉田鉄郎(1894~1956年)と岩元禄を挙げたいですね。
岩元禄(Roku Iwamoto)
早世が惜しい芸術的建築家

東京帝国大学の建築学科を卒業して逓信省へと進む。途中、軍隊に入っていた期間を含んでの2年半という短い期間のうちに、西陣分局舎、青山電話局などの設計を担当する。その後、東京帝国大学の建築学科で助教授として働き始めるが、その最初の年にかっ血。療養するもよくならず、29歳の若さで生涯を閉じている。過去の様式に頼らない独自の作風から、日本で最初の「芸術的建築家」とも言われる。私生活においても、彫刻家のアトリエを借りた住まいに暮らし、そこで絵を描いたりピアノを演奏したりしていたという。堀口捨己や山田守ら分離派建築会のメンバーからは兄貴分と慕われたが、運動への参加は断っている。
吉田鉄郎(Tetsuro Yoshida)

郵便局でモダニズムを確立
東京帝国大学を卒業後、逓信省へ。京都中央電話局上分局や別府公会堂など初期の作品は、ドイツ表現主義や北欧ロマンティシズムの建築を思わせる作風だったが、次第に装飾を排した合理主義へと傾く。代表作は東京と大阪の中央郵便局で、特に東京中央郵便局はドイツから訪れていたブルーノ・タウトに、モダニズムの傑作として賞賛された。晩年は日本大学で教鞭をとったり、『日本の住宅』など日本建築を紹介する著作をドイツ語で執筆したりした。向井覚の著書によると、死の間際に残した言葉は「日本中に平凡な建築をたくさん建てたよ」だったという。
では、岩元禄からいきますか。
磯 逓信省は、公共的な手堅い施設をつくっていく組織であるわけだけれど、そのなかに、かなり前衛的なデザインをやる建築家もいて、山田守(1894~1966年)をはじめ表現主義的な建築家をたくさん輩出した。そのなかでも一番最初に頭角を現したのが岩元禄。若くして亡くなってしまったので作品がほとんどない。ですが、日本の表現主義が、実はそういう組織設計から出てきたというところが僕はすごく面白いと思っています。
井上 それは日本だけではないと思いますよ。イタリアでも、モダンデザインはまず郵便局からです。
そうなんですか?
井上 郵便とか鉄道とかがね、国家建設のときに、新しさを受け入れるんです。イタリアはなかなか新しいものを受け入れない国なんだけれども、それでも港湾、鉄道、郵便といった辺りが近代、つまり新しさを受け入れる施設だったと思います。
だから、日本でもそういうところに野心のある人が集まりやすかったんでしょう。岩元が設計した西陣の電話局(旧京都中央電話局西陣分局舎、1921年)なんか、外壁に裸婦が付いているでしょう。
磯 ええ、裸婦のトルソーが載っています。すごく大胆ですよね。
井上 伝わっている伝説では、あそこの電話交換室に出勤する女性たちは、いつも恥ずかしそうにうつむきながら門をくぐっていたとか。
現代美術や現代音楽に触れていることが自分の肥やしになるみたいに思うようなタイプの建築家として、岩元禄は面白い。言い方がよくないかもしれないけれど「芸術かぶれの建築家」を出した、そのパイオニアみたいな。辰野金吾とかにはそういう思いはなかったんじゃないかなと。
吉田鉄郎については。
井上 吉田鉄郎もすごく才能のあった人だと思うんです。でも、モダンデザインの潮流に合わせてしまったんですよね。そこが何かかわいそうだなと思う。
磯 モダンデザインに移る前の方がいいと。
井上 宇治山田(三重県伊勢市)に吉田鉄郎の初期の作品(旧山田郵便局電話分室、1925年)があって、今はレストランになっているんです。京都の丸太町沿いの郵便局(旧京都中央電話局上分局、1923年)も「あれは好きだ」という声をよく聞きます。あの建物は私の知っている範囲でも、アスレチックジムになり、レストランになり、今はコンビニが入っていると思うんですが、要するにあそこで仕事をやりたいという人が次から次に出るんですね。そういう一般の人に分かる魅力をモダンデザインになってからの吉田鉄郎は持っていないから、日本建築学会がしゃかりきになって「保存しよう」と頑張らなければならない。
磯さんはどちらかというとモダニズム以降の吉田鉄郎が好きなのでは。
磯 そうですね、どちらかといえば。
井上 ええっ、うそ!(笑)
磯 つんつるてんの、そういう吉田鉄郎の建築が好きですね。
井上 なるほど。吉田鉄郎でもう1つ付け加えると、目地割りがすごく見事なんです。大阪の中央郵便局なんか見るたびに、本当にすごいなと思いました。鉄のサッシと、壁と床の目地とかね。あのこだわりはお役所仕事だと思います(笑)。日本の建設会社というのは、当時から見事だった。あんなに目地割りをばっちり整える仕事をヨーロッパではあまり見たことがありません。
磯 確かに、吉田鉄郎に引かれるのはそういうディテールの新しさみたいな部分であって、空間性の豊かさみたいなものは、あの頃のモダニズムといわれている建築にはまだないかもしれませんね。その辺りはフランク・ロイド・ライト(1867~1959年)とか、アントニン・レーモンド(1888~1976年)とか、海外のモダニズムの建築家が日本でつくるようになって、ようやく見て取れるという感じですかね。