オープンソースソフトウエアやオープンデータ、オープンイノベーション…。オープンという言葉が社会に広く浸透しつつあります。しかし、「オープンアーキテクチャー」という言葉を意識している人は、まだ少ないのではないでしょうか。実は私もあまり意識したことがありませんでした。
ところが、IoT(Internet of Things)や第5世代移動通信システム(5G)といった新しい技術革新が起こる世の中で、これらの新しい技術を浸透させ活用させるために必要なものは何かと考えたとき、オープンアーキテクチャーというキーワードに行き着きました。
オープンアーキテクチャーとは
オープンアーキテクチャーという言葉には明確な定義はありません。「アーキテクチャーを公開しているハードウエアやソフトウエア」という認識でよいと思います。
例えば、米アップル(Apple)の製品を除くと、現在はほとんどのパソコンに米アイビーエム(IBM)が開発したPC/AT互換機のアーキテクチャーを採用しています。これは、ハードウエアの仕様やソースコードを公開するのではなく、それぞれのハードウエアが連携する仕組みや、やり取りする命令をオープンに公開するというものです。
アーキテクチャーをオープンにすると、どの企業が作ったものでも、そのアーキテクチャーに基づいて設計・開発されたものは何でもパソコンに組み込めるということになります。
PC-98シリーズがオープンアーキテクチャーだったなら…
1970年代から80年代にかけて日本におけるパソコンは、PC/AT互換機のパソコン(通称:DOS/V機)と、NECが開発した「PC-9800」シリーズ(以下、PC-98シリーズ)とで人気を二分しました。むしろ、日本国内ではPC-98シリーズの方が人気だったと思います。
この時代は、まだパソコンの用途が限られており、ソフトウエアもハードウエアもそれほど多くの種類がありませんでした。ましてや、個々のユーザーがパソコンをカスタマイズすることはほとんどありませんでした。
ところが、1990年代に入るとパソコンの用途や必要な性能が高まり、メモリーを増設したり、グラフィックボードを高機能なものに替えたりするなど、カスタマイズに対するさまざまな要求が増えてきました。
こうした変化に対し、PC/AT互換機はアーキテクチャーがオープンになっていたため、ベンチャー企業を含む世界中の企業が多くの拡張ボードを発売した上、アジア企業を中心に低価格なものを開発していきました。
また、米マイクロソフト(Microsoft)の「Windows95」の登場により、ソフトウエアのプラットフォームがOSというレベルで統一されると、PC/AT互換機が広く普及してデファクトスタンダード(事実上の標準)となりました。結果、PC/AT互換機はIBMだけのものではなくなり、IBMに全く関係のない企業でも開発できるようになりました。
また、PC/AT互換機では対応する部品を組み合わせるだけでパソコンを作ることができるため、自分で作る「自作機」というものが流行したのも1990年代です。
一方のPC-98シリーズは、ハードウエアの数が限られることや拡張ボードなどが高価格だったことなどから、NECまで開発するパソコンをPC/AT互換機に切り替え、PC-98シリーズは終了することになります。
PC-98シリーズが続かなかった要因はWindows95の登場にあるとする考えが多く、私もその通りだと思います。もし98シリーズが早期にオープンアーキテクチャーであれば、違った歴史になっていたかもしれません。