平成最悪の被害となった西日本豪雨。岡山県倉敷市真備町地区では、街の南側を流れる小田川などが氾濫して、街の4分の1が水没した。国土地理院の分析によると、浸水は最も深い場所で約4.8mに達したという。真備町箭田(やた)でインタビューした50代の男性は、堤防が決壊した小田川と高馬川の合流地点近くに立つ築35年ほどの木造住宅に、父母を訪ねて一時帰省していた。雨の勢いが激しかったことから、男性は夕刻には両親を高台の施設に避難させた。1人家に残った男性は、堤防が決壊したとされる7日の午前1時半ごろに、住宅の2階で眠りにつくところだった。
屋根の棟に登って雨の中で助けを待っていた間、半分は死ぬことを覚悟していました。足元に迫る黒い水は徐々にかさを増し、屋根にぶつかって渦巻いていました。停電になっているので真っ暗でしたが、濁流が何か重い塊を押し流しているような感覚がありました。時々、その塊が家にぶつかりました。家の周囲はみんな水没しており、どこまで水が続いているのか分かりませんでした。そもそも、近くを流れる小田川が決壊した、ということさえ理解していなかったのです。
家から小田川の堤防までは田んぼが続き、視界を遮るものがありません。2階の窓から堤防の様子を見ていたのですが、大雨が続いていた(7月6日の)午後11時ごろ、ちょうど堤防が決壊した辺りに消防車が集まっていました。川の水量などを確認しに来ていると思って、どうするか見ていたのですが、しばらくすると消防車が引き上げていった。それで、「大丈夫だろう」と安心していました。