2018年12月14日、作家の池井戸潤氏との出会いについて触れた随筆「下町ロケットと私」を日本経済新聞の交遊抄に取り上げてもらった。当時、日曜の夜に放映されていたTBS(東京放送ホールディングス)ドラマ「下町ロケット」が佳境に達する中で大きな反響をいただいたのであるが、いくつかの誤解をここで正していこうと思う。
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反響のうちの多くが、「テンポの良い文章ですね。文才もあったのですか!」というものである。実は、私は1時間のインタビューを受けたのみであり、担当した日本経済新聞社の記者が文章を書いたわけで、私に文才があるという評価は残念ながら全くの誤解である(ちなみに、記者が書いたオリジナル原稿は私も一読して素晴らしいと思い、ほぼそのままで採用している)。
もう1つが、交遊抄の締めともなっている「私は負ける裁判は受けない」という台詞である。事情を知らない読者のために若干の解説をするが、池井戸氏と10年ほど前にご縁を得て飲み友達になり、特許訴訟の描写についていくばくかのアドバイスをさせていただいた。そうしたこともあり、池井戸氏は私を下町ロケットのスパイス的な登場人物である神谷弁護士のモデルにしてくださった*。「私は負ける裁判は受けない」というのは神谷弁護士が事件を引き受けるときの決め台詞である。
* 神谷弁護士はドラマにおける重要な登場人物。主人公が経営する「佃製作所」が窮地に陥るたびに、知財専門の凄腕弁護士として登場し、同社を救う。「神谷先生助けてあげて!」と思いながら見ていた視聴者は多い。
実は、池井戸氏の直木賞受賞作となった下町ロケットの第1話では、「私は負ける裁判は受けない」という決め台詞は使われていない。当作品がドラマ化されるに当たり、TBSの脚本で最初に使われたというのがその由来なのである(ちなみに、池井戸さんもこの台詞を気に入ったのか、第3話「ゴースト」では、この決め台詞が神谷弁護士の言葉として使われている)。
この決め台詞、確かにかっこよいのだが、モデル弁護士の立場からすると誤解を招きかねず少々困った。そこで、脚本監修担当の立場を利用してテレビ局の脚本を何度か修正(該当部分を削除)してみた。しかし、何度修正してもドラマでは復活してしまうのである。当時はテレビ局の配慮のなさに憤ったりもしたが、考えてみれば、脚本監修というのは脚本が法律や裁判の慣習に沿っているかどうかを査読する仕事であって、表現を自分の好みに基づいて削除、修正することは業務の範囲外である。ましてや、自己の損得勘定で脚本の表現を調整するのは言語道断であり、今となっては大変反省している。
とは言え、法律事務所を経営している身としては「あの事務所は勝てる訴訟しか引き受けないのか」という評判は営業上決してプラスではない。確かに、世の中には「訴訟に負けない弁護士」という評価をいただいている方々が少なからずいらっしゃる。そして、訴訟に負けないためには、神谷弁護士のように「事件の筋を見極めて、負けそうな案件は引き受けない」という要素が必然的に絡む。いくら凄腕の弁護士でも、負け筋の案件をひっくり返すのは並大抵ではない。相手もプロだからだ。
そこで、勝てる事件だけを見極めて受任すればよいのであるが、意外とこれは現実的ではない。というのは、紛争というものは大抵、どちらにも言い分がある、つまり、10対0でどちらかが一方的に有利な案件であればそもそも訴訟事件にならないのであり、互いにそれなりの言い分があるからこそ裁判になるのだ。しかも、法律事務所は営利主体である。10対0の事件が来る日を悠長に待っていては、いつまでも売り上げが上がらず、市場から撤退という憂き目に遭わないとも限らない。
そこで、五分五分の案件、時には一見すると負け筋と思われるような案件であっても、「この論点にフォーカスし、こういうふうに攻めれば勝てる」という一点突破的な戦術の見立てができるかどうかが大事になる。このレベルの見立てをするには、訴訟手続と法律論に対する深い造詣があって初めて可能となることである。