PR

「被告事件についてはその限りではない」

 「私は負ける裁判は受けない」論について、私のスタンスを示そうと思う。

 まず、どんな事件でも、何を論点として選択し、そこに向けてどういう主張を強めれば勝訴確率が最大になるかを考える。その結果、何をどうやっても勝てないだろうという判断に至ることも間々ある。この判断は、10回裁判をやれば少なくとも9回は再現性があるだろう、というくらいの自信はある。特許訴訟の原告の場合、その時点で勝てないという結論と理由をお客様に伝え、受任しないことをお伝えする。

 それでも、「訴状を出すだけで相手方を威嚇できるから」「ビジネス上有利になるから」などといった理由で提訴を希望するお客様も多い。このような方針は、訴状を提出した夜は溜飲が下がるであろうが、期日を重ねるに連れて敗色濃厚になり、「勝てもしないことをなぜ始めたのだ」という疑問の声が社内で上がり始める。やがてそれは原告担当者の責任問題ともなり、弁護士に責任転嫁される。しかも、訴訟は勝手にやめられない。相手方からすれば、提訴の不当性が期日を重ねるにつれて明らかになる中で、和解をするというモチベーションもなく、自身を正当化するための請求棄却判決を強く望む。このような経緯が弁護士に対する評価だけにとどまればよいのだが、多くは原告担当者のマイナス評価に帰着する。

 「私は負ける裁判は受けない」という神谷弁護士と基軸を一にするこの態度は、原告事件を前提とする限りは、勇気ある撤退行動であり、アドバイザーとしてファインプレーである(ちなみに、これを徹底するためには法律事務所の経営が目先の利益を追わない体質であることが肝要である)。

 被告事件は様相を異にする。訴状を受け取り、状況的にも心理的にも窮地にある被告に対して「私は負ける裁判は受けない」とは、通常の人間性の持ち主であれば言えないし、プロとしても言ってはならない。負け筋の被告事件であっても、「良い負け方」をするために全力を尽くすのが弁護士の職務であり、それに向けた方針についてお客様と合意できる限りにおいてはお力添えをすべきだと思っている。結論として、被告事件に関しては、「私は負ける裁判は受けない」とはならないのであって、神谷弁護士と方針は異なる。

 上記が真実なので、「私は負ける裁判は受けない。ただし、被告事件についてはこの限りではない」というのが望む決め台詞だったわけだが、さすがにこれではテンポが悪すぎることは論を待たない。