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鮫島正洋
鮫島正洋
内田・鮫島法律事務所 代表パートナー 弁護士・弁理士

 「オープンイノベーション」という言葉がすっかり普及しました。当初、大企業の開発スタンスに対する路線変更を呼び掛ける意味を持っていたに過ぎないこの言葉が、日本の競争力を占う意義を持ち始めたのはここ数年のことです。

 「オープンイノベーション」の当初の意義は自前主義からの脱却でした。つまり、多様化するマーケットに対応するために全ての技術を自前で開発していては、世の中の動きに間に合わないという警鐘を大企業に対して鳴らすという意味を持っていました。自動車の原動力がガソリンエンジンからモーターに代わる時代や、あらゆる産業でIoT(Internet of Things)と人工知能(AI)の導入が叫ばれている時代において、全ての技術を自前で開発しきるとすれば、全く畑の異なる多くの分野に研究開発投資を行わなければなりません。しかし、それは昨今の日本企業の体力から考えると無理があります。従って、外部からテクノロジーを導入したり製品を仕入れたりするなどをしていこう、というのが当初の「オープンイノベーション」が意味するところでした。

 しかし、ここ数年で「オープンイノベーション」という言葉は中小・ベンチャー企業の技術を大企業が導入する、という意義を持ち始めました。これまでの自前主義脱却という枠組みの中で、技術の供給元(中小・ベンチャー企業)と供給先(大企業)という構図で担当主体がモデル化され始めたのです。もしかすると、読者の皆さんの中にはこのモデルについて奇異な印象を持つ人がいるかもしれません。なぜなら、大企業の技術力は高く、中小・ベンチャーの技術力はそこまででもない、というのが一般的なイメージだからです。

 しかし、現実は異なります。本当にイノベーティブな技術は大学の研究成果を受けたベンチャー企業が保有していたり、「匠の技」を数十年間磨き上げたものづくりの中小企業が持っていたりすることは珍しくありません。作家の池井戸潤氏の人気小説でありテレビドラマにもなっている「下町ロケット」で扱われているような世界、つまり、「佃製作所」という中小企業が最先端のバルブ技術に基づく製品を「帝国重工」という大企業に提供するという世界は、実は当たり前になりつつあるのです(その意味では、2010年にその世界を描ききった池井戸氏の先見性には驚かされます。今にしてみれば、それが、同小説が直木賞を受賞した根元的な理由だったようにも思います)。

 大企業からイノベーションが生まれにくい環境となっていることは大企業関係者を含め、多くが認めています。なぜかというと、大企業には、新しい時代の社会課題を予測するマーケティング力や事業構想力、リスクをとる企業風土といった、イノベーションが生まれ得る環境がなかなか存在しないからです。イノベーションが生まれ得る環境をこう定義すると、大企業が得てきたこれまでの成功体験は、むしろイノベーションを阻害する要因にしかならないということは自明の理でしょう。

 問題は、イノベーションを生み出さない大企業を主体として構成された国が将来的にGDP(国内総生産)を維持したり増大したりできるのか、という点です。一般論としては「No」でしょう。しかし、高齢化社会の進展に伴う社会保障費用の増大など、昨今の国家経済環境を踏まえると、GDPの維持は日本にとって喫緊の課題です。この課題の解決策として、政府が採用しようとしている手法がベンチャー企業の「ユニコーン」化なのです。数ある日本のベンチャー企業を世界に冠たる大企業にしていき、GDPの維持を図るというのがこの手法の本質です。世界的な企業であるホンダやソニーも、創業70年足らずで世界的企業になったという先例を作った日本であれば、環境さえ整えば不可能ではない。少なくとも、それが今のオープンイノベーション関係者の共通意識です。

* ユニコーン企業 米国では企業価値が10億米ドル(約1200億円)以上である非上場の有望なベンチャー企業のこと。