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ガレキが2階屋根に載っていた

 東北地方では78年に宮城県沖地震が発生しました。その頃から、学校の設計では地震対策を意識してきました。残念ながら、津波については手を打ってきませんでした。学校が海から離れているため、発注者からも津波の危険性に対応するような注文はありませんでした。

 もし仮に、80年代前半の校舎設計で、「10mを超える津波への対策をしてほしい」と要望されても、どんな対策を打てたかは分かりません。津波で運ばれたガレキは2階屋根の上にも載っていた。屋上を設けていても、東日本大震災の津波は防げなかったでしょう。

 訴訟では「裏山への避難」が争点の1つになりました。設計の際に「裏山の高台にも東屋のような教室をつくりたい」と提案したことがあります。北上川の雄大な流れを望みながら学べる場所をつくりたかったのです。しかし、敷地が個人の所有だったため、このアイデアは断念せざるを得ませんでした。

 今となっては、東屋を実現できなかったことが悔やまれます。普段から高台に移動するカリキュラムがあれば、日常の行動に津波避難を取り込めたからです。避難マニュアルをつくるだけでは、いざという時に機能しません。日常生活に根差した建物や経路であるからこそ、慌てずに行動ができるのだと思います。