【前回のあらすじ】
レクサスLSにふさわしいエンジンに求められる高い静粛性。電気モータで駆動する可変バルブタイミング機構「VVT-iE」の実用化では、この音の問題が最も大きな障壁となって立ちふさがった。従来の油圧駆動へ戻すという最悪の事態も覚悟した中、試行錯誤の末にたどり着いたのが、音が目立ちやすいアイドリング時において使用する減速比を調整することだった。これよりさかのぼることおよそ1年半。新型エンジンの性能を最大限に引き出す自動変速機(AT)の開発部隊では、「乗用車史上、初の8AT」という大きな大きな開発目標が掲げられることになった。

尾崎 和久 1980年、アイシン・エィ・ダブリュ入社。以来、AT開発部門に所属し続け、LS向け5速ATの開発、および6速ATの企画・構想に携わる。2003年からはLS向け8速ATの開発責任者を務める。現在は技術本部副本部長。
藤堂 穂 1989年、アイシン・エィ・ダブリュ入社。2000年よりランドクルーザー、LSなどのFR車用5/6速ATの開発を担当。2003年からは技術企画部にてLS向け8速ATのプロジェクト・リーダーとして開発に従事。現在は技術管理部主担当。
青木 敏彦 1994年、アイシン・エィ・ダブリュ入社。2003年より技術企画部にてLS向け8速ATのギアトレーン・NV設計を担当。現在は第1技術部アシスタントマネージャー。

「次は8ATにしたい」
トヨタ自動車のフラッグシップ・モデル「レクサスLS」のチーフエンジニア(CE)を務める吉田守孝が、次期モデルに積むパワートレーンの基本仕様を検討する会議の席上こう宣言したのは、2003年秋のことだった。
「本当にゴーサインが出るとは…」
「ついに8段か」
吉田の一言に、会議の出席者は互いに顔を見合わせてささやき合った。彼らの表情には、驚き、戸惑い、期待、不安…さまざまな思いが見え隠れしている。吉田はそんな空気を察知し、一呼吸置いてから続けた。
「8ATとなれば、乗用車用としては世界初になる。次期LSに搭載するトランスミッションとして、これほどのインパクトはないだろう。何より、LSに課せられた使命である『圧倒的な競争力』の実現に向け、大きく貢献してくれるはずだ」
「吉田さんのおっしゃる通り、8ATの優位性に疑う余地はないと思います。ただ…」
「ただ? 何だ」
「時間的な問題が心配です。LSの発売まで余すところたった3年。ただでさえ時間がないのに、エンジンの仕様がまだはっきりしない段階でトランスミッションを新たに開発するというのは、あまりに無謀ではないかと…」
トランスミッションの開発になくてはならないのがエンジンの仕様なのに、2003年秋のこの段階ではまだ完全には決まっていない。無論、吉田の頭の中には青写真が描かれている。それは、各気筒に二つのインジェクタを備える「D-4S」や、電動化した可変バルブタイミング機構「VVT-iE」など新技術を惜しみなく投入した、完全新規開発の4.6L・V型8気筒エンジンだ。しかし、VVT-iEの開発が異音の問題で難航するなど、青写真通りになるかどうかは予断を許さない。メンバーが不安に思うのはごく当たり前のことだった。
吉田は、トランスミッションの開発部隊を率いる本多敦に目を向ける。その視線を受けた本多は軽くうなずき、吉田の言葉を引き継いだ。

「確かに、これまでのトランスミッションの開発を振り返ってみても、スタート段階でエンジンの仕様が確定していないというケースはありませんでした。トランスミッションの開発ではエンジンとのチューニングが非常に重要になりますから、皆さんの心配ももっともです」
「ですよねぇ。するとやはり、8ATの投入には少し無理がありませんか」
「ええ、無理があるといえば、相当あるかもしれない。でも、不可能ではないと思っているんですよ、皆さんの力を結集すれば。それより何より、我々がまず優先すべきは、次期LSにふさわしいトランスミッションを考えることのはず」
本多は、その視線に大きくうなずく吉田の姿をとらえつつ話を続けた。
「実は、私たちの方では、そのことを水面下でずっと検討してきました。ちょうどいい機会ですので、最初からお話しします。あれは…」
本多は、次期LSのトランスミッションを8ATと決めた経緯を丁寧に語り始めた。