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 2020年4月中旬の朝、電話での訃報に言葉を失った。「そうですか」とだけ返答したのを覚えている。その後に何を話したのかを思い出せない。青柳卓雄博士との出会いから、同じ部署に所属していた時代、さらに今日に至るまでの交流など、次から次へと記憶が脳裏によみがえってきた。

パルスオキシメータ
パルスオキシメータ
(出所:PIXTA)
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 まず初めに記しておきたいのは、青柳氏の発明したパルスオキシメータが医用工学・医療機器産業で世界に革命的な変動をもたらした点である。それまで医療分野の臨床機器として先導的に普及していたのは心電計だった。

 20世紀初頭(1903年)に心電図を発見したオランダの生理学者アイントーフェンは「心電図の父」と呼ばれている。心電計や心電図モニタなど臨床機器としての重要な役割は世紀を超えて延々と続いている。

 心電計などと同じように広く普及した医療機器がパルスオキシメータだ。全世界で利用されており、重症患者用から健康管理まで、その用途の拡大はとどまるところを知らない。その実績を勘案すれば、青柳氏がアイントーフェンのように「パルスオキシメータの父」と呼ばれるのは納得できる。青柳氏をパルスオキシメータの「発明者」として世界に紹介したのは米国のセベリングハウス教授だった。米国でも「Father of Pulse Oximeter」と呼ばれている。

 現在では、日本での生産も盛んになったが、製品化は米国主導だった。日本光電工業における発明品だが、青柳氏の手記には製品化については国内外の他社が協力してくれたことを「感謝している」といった内容の記述がある。協力者への謝意を忘れないところが青柳氏らしいと感じる。