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 家庭用ゲーム機の市場を創った任天堂の「ファミリーコンピュータ(ファミコン)」。そんなファミコンはどのように開発されたのか。専門誌『日経エレクトロニクス』が1994年1月31日号~1995年9月11日号に掲載した連載記事を基に、ファミコンの開発プロジェクトの舞台裏を、日経クロステック編集部のバーチャル記者「黒須もあ」が動画で紹介します。今回は完結編です。前編はこちら。(日経クロステック編集部)

【解説動画】ファミコン開発の舞台裏!完結編!【黒須もあ】
【解説動画】ファミコン開発の舞台裏!完結編!【黒須もあ】
クリックで別ウインドウにYouTube動画再生(出所:日経クロステック)

 こんにちは、日経クロステック記者の黒須もあです。製品開発プロジェクトを振り返る新企画「プロジェクト・クロス」。今回は前回に引き続き、任天堂の「ファミリーコンピュータ(ファミコン)」開発ストーリーをお送りします。前回はLSI開発とソフト開発が始まったところまでご説明しました。今回は本体設計から動画で解説していきます!これが完結編です!

 LSI開発とソフト開発環境にメドが立ち始めた1982年10月ごろ、ようやくファミコン本体の具体的な設計がスタートしました。ファミコン開発責任者の上村雅之(敬称略、以下同)は、本体の設計を進めるに当たり、米Coleco(コレコ)のゲーム機「コレコ ビジョン」などを意識しながら、7つの基本仕様をまとめました。

ファミコン本体の設計にはあまり「遊び」がなく、唯一「ROMカセットの取り出しレバー」などに遊び心を盛り込んだのだとか!
ファミコン本体の設計にはあまり「遊び」がなく、唯一「ROMカセットの取り出しレバー」などに遊び心を盛り込んだのだとか!
(出所:日経クロステック)
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「十字キー」が生まれたきっかけ

 ファミコン本体の開発のなかで、コントローラーの仕様を「十字ボタン」に決めたことは、ゲームの歴史に残る重要な出来事となりました。十字キーは、その後登場したゲーム機のほぼすべてに、決定的な影響を与えたからです。

 実は上村たちは当初、業務用ゲーム機と同じジョイスティック・レバーの搭載を検討していました。しかし、固定方法や安全性などの問題を抱え、開発が難航していたのです。そこで突然、「面倒なジョイスティック・レバーをやめて十字ボタンにすればよい」という考えを持ち出したのが、開発スタッフの1人だった沢野貴夫でした。

沢野貴夫はゲーム&ウォッチをファミコンの試作機につなぎ、十字キーで違和感なく操作できると証明して見せました!
沢野貴夫はゲーム&ウォッチをファミコンの試作機につなぎ、十字キーで違和感なく操作できると証明して見せました!
(出所:日経クロステック)
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 沢野は当時、「ゲーム&ウオッチ」が大ヒットして多忙だった開発第一部ソフト開発要員として、上村の率いる開発第二部から駆り出されていました。そのためゲーム&ウォッチで採用されていた十字ボタンの採用を思いついたのです。

 開発第一部は任天堂で数々のヒット製品を造った横井軍平が率いていました。十字ボタンはもともと、ゲーム&ウオッチに「ドンキーコング」の簡易版を移植した際に、横井が考案したものでした。ゲーム&ウォッチは携帯ゲーム機なのでジョイスティックは使えず、試行錯誤の末に、十字キーを見いだしたのです。こうして1983年春には、本体の外観やコントローラー、ROMカセットなど、製品の全体像がはっきりしてきます。

十字キーはもともと、携帯ゲーム機だったゲーム&ウォッチでジョイスティックの代わりにと、横井軍平が考えたものでした!
十字キーはもともと、携帯ゲーム機だったゲーム&ウォッチでジョイスティックの代わりにと、横井軍平が考えたものでした!
(出所:日経クロステック)
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