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崩壊の顛末(てんまつ)

 複数のプロセスを持った大規模な工場がある。これをW工場と呼ぼう。W工場では前工程で基本となる処理を行い、後工程でそれらを顧客の要望に合わせて追加工や仕様の微調整を行っている。ある時、この工場で大きな変革があった。そのきっかけは、最終製品メーカーである顧客が行った技術交流会だった。

 その技術交流会は、普段はあまり開示されることがない顧客の工場内のプロセス見学会と、その顧客に納品する部品メーカーが取り組んでいる改善事例の紹介が目玉となっている。特にW工場の工場長が関心を持ったのは顧客の工場管理だった。現場のどこに行っても、その日の予定や進捗、各工程の管理指標の推移などが一目で分かるようにグラフで掲示されている。そのため、管理者が工場を一巡するだけで、「今この工場がどのような状況にあるか」を簡単に把握できるようになっていた。そして、少しでも気になる変化があった場合、現場のリーダーや作業者がすぐに問題となる工程へ走って行き、原因分析や対策を行っていた。

(作成:日経 xTECH)
(作成:日経 xTECH)
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 W工場では工場の計画を各職場のリーダーが個別に采配していた。生産計画に相当するものは一応は存在してはいる。だが、実際に現場がどう動くかは、その職場のリーダー任せになっている状況だった。生産の進捗も現場を見て分かるようにはなっていなかった。従って、何かを確認をしたい場合は、誰かに聞き、その人間がまた誰かに聞いて……といったことを繰り返し、ようやく今の状況が分かるという具合だった。

 この技術交流会をきっかけに、W工場の工場長は徹底した現場の「見える化」を推進しようと決断し、現場の変革に取り組んだ。特に注力したのが、工場の中にたくさんある管理指標〔重要業績評価指標(KPI;Key Performance Indicator)〕の状態の見える化だ。それぞれの指標をグラフにし、容易に見えるようにして職場に掲示するようにしたのだ。

 ところが、その結果は工場長が望んだものではなかった。いくら見える化を進めても、生産性や品質には目立った改善が見られず、むしろ、現場の作業者からすると、記録の増大やグラフ作成など、さまざまな手間が増えた。結果、「見える化=作業負荷の増大」という考えが現場に蔓延し、作業者がKPIの見える化に反発するようになってしまった。