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崩壊の顛末(てんまつ)

 ベテラン作業者の知識と経験によってQCD(Quality;品質、Cost;コスト、Delivery;納期)が支えられてきた工場がある。これをF工場と呼ぼう。このF工場では昨今の社会情勢を踏まえて現場のデジタル変革(DX)の推進が叫ばれており、タブレット端末などの情報機器を活用して、生産現場での業務効率の改善を行うことが課題となっていた。

 「どのようなデジタル変革が我々の工場には可能なのだろうか」と、中堅作業者を中心としたメンバーが議論する中で、現場から声が多く上がってきたのが、作業標準書(作業手順書)のデジタル化だった。というのは、毎年少なからず仕様間違いのトラブルが発生していたからだ。F工場では多種多様な製品を造っている。どの製品にどの特性を適用するかを間違いなく実行することは、常に注意が必要である上に、難易度も高いのである。

 議論を進める中、タブレット端末を各職場に設置して生産する製品の特性や作業手順などを作業者にタイムリーに示す案が浮上した。これにより品質を守りつつ作業性を向上させようというのだ。システムに生産計画を登録しておけば、作業者の目の前にあるタブレット端末には、その製品に該当する図面や守るべき生産条件が表示される。さまざまな製品の仕様や特性を頭の中にたたき込まなくてはならない難易度の高い作業でも、これによって誰でも間違いなく作業ができるようになると皆が期待した。

(作成:日経クロステック)
(作成:日経クロステック)
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 タブレット端末などを活用して作業標準書を表示するシステムは近年、比較的低コストで導入できるようになってきた。ちまたには、そうした機能のシステム商品が数多く見られるようになっている。工場長は、この提案が時間のかかる確認作業の軽減とミスの防止に大きく寄与するはずだと考えて投資を決断した。

 ところが、それらを導入してから数カ月間、様子を見たが、生産性の改善や作業性の向上はほとんど見られなかった。いや、むしろ悪化したという表現の方が正確だろう。

 その理由を現場の課長に聞いても「きちんと活用しています」との返答。そこで、工場長は現場に出て作業者の動きを観察してみることにした。確かに、作業者の目の前にはタブレット端末が置かれ、作業標準書の該当項目が表示されていた。しかし、作業者はタブレット端末の画面を全く見ずに作業しているのだ。

 若手作業者は、相変わらず現場に置かれたメモに手書きされた数字を何度も確認しながら作業しており、ベテラン作業者は「こんなもの、見なくても私の頭の中に全て入っていますよ」とにべもない。経験のある作業者は、既に知っている内容を目の前に表示されたところで全く役に立たないと考えていたのだ。

 品質確保のために、毎回「画面を確認した」と入力を求められる作業が増えて、むしろ作業性が落ちたという悪評も立っており、デジタル化をもくろんだリーダー層や管理者層と、現場の作業者の間で大きな意識のズレを生じさせる結果となっていた。