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崩壊の顛末(てんまつ)

 優れた技術を持ち、多くの顧客企業から信頼を得ていた工場がある。これをJ工場と呼ぼう。このJ工場は、幅広い産業の裾野を支える基幹的な製品の加工を得意としており、国内外の有力企業から「ぜひJ工場でやってもらいたい」と指名を受けるほどだった。同様の加工を手掛ける企業は他にもあるものの、顧客の難しい要望に応じられる企業は限られる。J工場はそうした工場の代表格だった。

 こうした背景から、J工場は景気の良いときには文字通り休む間もないほどの忙しさで操業を続けていた。その一方で、多忙のあまり日々の改善活動を超える大胆な改革に着手できる時間的な余裕はなかった。J工場は足元の好景気の波に乗る一方で、将来に向けた成長の芽を育てられずにいた。

(作成:日経クロステック)
(作成:日経クロステック)
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 景気の低迷が始まると同時に、J工場の稼働は落ちた。だがその分、現場には時間的な余裕が生まれ、改革への前向きな声が上がってきた。「今こそ現場改革を実施し、景気が回復したときに、さらに強い競争力を発揮できるようになりたい」と。特に熱心だったのは、多忙の中でも日々の改善活動を地道に実施してきた職場の中堅社員だった。稼働の低下によってまとまった時間ができたことをむしろ好機と捉え、ものづくりを抜本的に改革して、より生産性の高い工場にしたいと考えたのである。

 J工場では工程単位でさまざまな改善活動を行っていたが、改善のネタが尽きてきて「頭打ち感」は否めなかった。しかし、改革に前向きな中堅社員は、独自に作業分析を行い、現在のバッチ処理的なものづくりに多くのムダがあることを見いだしていた。そこで、工場全体の流れを把握しながらスムーズなものづくりができる工場へと変革すべきだというアイデアを持っていた。

 ところが、思いも寄らぬことが起きた。このアイデアを基に改革を始めようと中堅社員が提案すると、彼らの上司である管理者が猛反対したのだ。「そんなことより、もっと早く改善の成果が出る方法を探せ」と。頭打ちになりつつある生産性をさらに高めるために工場全体のものづくりを大きく変えようと、改革に対して強い思いを抱いていた中堅社員の気持ちは見事に折られてしまった。やがて、工場を良くしようという議論も下火になり、J工場は日々の生産をしながら重箱の隅をつつくような改善活動を行う元の姿に戻ってしまった。