崩壊の顛末(てんまつ)
優れた技術で金属加工を行う工場がある。これをJ工場と呼ぼう。J工場は長い社歴を持っており、先人たちが苦労して積み上げてきた加工技術によって、業界の評価が高かった。しかし、その長い歴史故の弊害もあった。
経験年数を重ねるほど知識が増えて技量も高くなるため、J工場では伝統的に経験を重んじていた。そのため、社内では明確な上下関係が発生していたのだ。例えば、各製造課では課長の言うことは「絶対」であり、若手や中堅の社員が、年上の課長の考えや意見に異を唱えることは許されない社風になっていた。
そのJ工場に大きな転機が訪れた。社長の交代だ。先代社長は会社を自ら興し、現場で腕を磨きながらJ工場を一から作り上げてきた傑物だ。当然ながら、現場の多くの作業者が、その技術にも人柄にも一目置いており、社内ではカリスマ的な存在であった。だが、高齢のために社長の座を息子に譲ることになった。
若社長は、大手の金属加工会社で20年ほど修行を積んでおり、現場経験も豊富で確かな技術を持っていた。外部の洗練された工場の経験から、若社長はJ工場がさまざまな問題を抱えていると感じた。昔よりも規模が拡大しているのに、昔ながらの町工場的な組織運営にとどまっていたからだ。そうした問題の1つが、気合と根性を振りかざす部課長たち管理者の存在だった。
先代社長は、自身が高い技能を持つ職人であり、気合と根性でさまざまな難局を自ら乗り越えてきたと自負していた。そして、先代社長に付き従ってきた多くの管理者も、気合と根性で社長の意向を忠実に実行するという行動様式に染まっていたのだ。
これに対して若社長は、ボスが君臨する町工場から、組織として仕事ができる工場への変革を目指していた。そのため、先代社長とは違って細かな指示はせず、大きな目標や方向性を示し、詳細は管理者に委ねるようにしたのだ。
ところが、上意下達に染まっていた管理者は、上意を受けて自らの考えを示すことに慣れておらず、「自分で考えろ」と部下に丸投げをするようになってしまった。部下はたまったものではない。漠然とした課題を投げつけられたまま、上司からは何のアドバイスも受けられず、「あの件はどうなった?」と細かく追い立てられるだけ。部下は嫌気がさして、すっかり職場は冷え切ってしまった。