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コンサルの眼

 この工場の問題点を考えてみよう。歴史の長い工場ほど、過去の経験に根ざした多くの「常識」が存在するものだ。常識の存在自体が問題なのではない。経験に根ざした常識は、工場が持つ「ノウハウ」に他ならないからだ。このQ工場がまずいのは、常識の扱いである。そこには2つの問題点があるといえる。(1)現場に不文律があふれていること、(2)不文律が常識化して思考停止していること、である。

(1)現場に不文律があふれていること

 不文律とは、明文化はされていないが組織の中にある「暗黙の了解」のことだ。例えば「部品Aには金属を使う」ということが明文化されず、作業者間で口頭で伝承されているだけなら、これは不文律といえるだろう。Q工場では不文律が多く、若手作業者が作業を覚えるにしても、その都度、ベテラン作業者に聞かなければならない状態だ。故に、作業者教育がやりづらい工場になっている。

 不文律の問題点は、技能伝承や作業者教育が面倒になるだけではない。明文化されていないが故に、不文律そのものが不明確になることだ。「部品Aには金属を使え」と言う人がいれば、「部品Aには金属Xを使え」とより具体的に言う人もいる。「部品Aには〇〇の理由で金属Xを使うのが一番適切」と、理由や背景まで説明する人もいるだろう。つまり、不文律はそれを語る作業者によって言うことが違うというのが問題なのである。

(2)不文律が常識化して思考停止していること

 職場の暗黙知のような不文律が現場に定着すると、それが常識になる。常識化したものはその是非を疑うことがなくなり、思考停止に陥りやすい。Q工場において「部品Aには金属を使う」という常識に対し、改善策という形で疑義を提起した若手作業者を「常識知らず」と工場長が罵ったことは、まさに思考停止そのものだ。日々進む技術革新や新しい知見の習得などで、「金属でなければ、部品Aの強度を保つことができない」という常識は変化する。「新しく開発された素材を使えば、金属ではなくても強度を確保できる」という、新しい常識を手に入れることができたはずの場面で、工場長は硬直化した思考により、頭ごなしに否定してしまったのである。

 「常識」という言葉が乱用される現場は思考停止に陥り、考え方に柔軟性がなくなっていく。それではさまざまな環境の変化に対応できない組織になってしまう。

(作成:筆者)
(作成:筆者)
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