全3208文字
PR

崩壊の顛末

 新製品の立ち上げで混乱を極めていた工場がある。これをJ工場と呼ぼう。J工場では、顧客が造る製品にとって重要な部分の機器の開発と生産を担っていた。そのため、顧客からの要求は厳しかった。J工場は試作段階からさまざまなトラブルに直面しながらも、工場のメンバーの努力と工夫によって、ようやく量産開始にこぎ着けた。それでも、依然として工程内でのトラブルは続いていた。顧客への量産品の出荷が始まっても工場の混乱はなかなか収まらず、日々要求される出荷数量を確保するために苦労を重ねていた。

 量産品の出荷が始まって数日がたった頃、工場内に駐在している品質保証部の電話が鳴った。品質保証部長の悪い予感は当たり、顧客からのクレームだった。顧客の工場において、J工場で生産した機器を使って製品を組み立てている最中に不具合が発覚したというのだ。問題の箇所は、J工場の出荷検査の項目には含まれていなかったため、出荷時点でも気付くことはできなかったのだ。

 クレームの情報を受け取った品質保証部は、工程に対して現物の再確認と暫定対策を指示した。同時に、工場の各部門長に対して早急に問題の原因調査と対策の立案を考えるように指示し、自らも調査に乗り込んだ。

(作成:日経クロステック)
(作成:日経クロステック)
[画像のクリックで拡大表示]

 幸い、顧客とJ工場は良好な関係を築いていたため、互いに技術的に協力しながら調査を進めることができた。その結果、試作から量産までの過程でトラブルが多発したために双方が混乱しており、情報の伝達や仕様の確認が不十分なまま量産に至ったことが分かってきた。例えば、「並んでいるスイッチの左から3番目をONにすること」という内容が、「左側3つのスイッチをONにすること」といった感じで誤って伝わっていた。

 こうした不具合が複数見つかったことから、工場では、設計課長と製造課長、品質保証課長が原因の追究と対策に走り回り、原因の潰し込みと作業標準書の改善が行われた。

 一見、J工場は顧客のクレームに対して、適切に対応したように見える。だが、実はそうではなかった。

 クレームを受け、生産現場は「自分たちの作業に不備がある」、もしくは「自分たちが試作の段階で開発部門とやりとりをした作業標準書の内容に問題がある」と考えていた。そのため、クレームや顧客とのやりとりの内容はもちろん、原因の追究から対策の実行に至るまで、問題の実情を詳細に知りたかった。ところが、それらの情報は一部の管理職の間だけで閉じられ、現場には「今日からこれで作業せよ」と指示だけが展開された。

 この結果に、現場の作業者は「我々は、ただ言われたことをやればよいということか」と、大きな不満を感じた。新製品の立ち上げに深く関わったと自負している現場の作業者たちは、問題解決に積極的に関わることができず、一部の管理職だけが秘密主義のように情報を閉ざしていたことで、すっかりやる気をなくしてしまった。