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崩壊の顛末(てんまつ)

 多忙が続いて現場が疲弊していた工場がある。これをO工場と呼ぼう。このO工場では、顧客の需要が堅調に推移しているおかげで高水準の稼働が続いていた。だが、顧客からは価格低減の要請が厳しく、限られた現場の工数をフル活用した厳しい生産を余儀なくされていた。

 こうした厳しい状況を打破すべく、ある経営幹部の発起により、生産性改善プロジェクトが始まった。事の発端は、生産部門を統括する役員が現場の状況を憂慮し、「この状態を長く続けることはまずい」と危機感を抱いたことにある。

 現場の過度な多忙がずるずると継続するのは問題だ。顧客からの価格低減の要請が今後も続くことを踏まえると、今、改善活動を始めなければ、現場が疲弊していく一方なのは誰の目にも明らかだった。

 しかし、現場の誰もが「改善活動が必要」と思ってはいたものの、口にすることをためらっていた。目の前の業務がただでさえ忙しいのに、改善活動でそれに拍車をかけるようなことをするのは、自分で貧乏くじを引くようだものだからだ。

 この閉塞した状況を打破すべく、口火を切ったのが生産部門の統括役員だった。強いリーダーシップを発揮し、現場の管理職への説得や活動の中核になるべきメンバーへの協力要請などを行った。

(作成:日経クロステック)
(作成:日経クロステック)
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 こうして始まった生産性改善プロジェクトでは、現在の生産能力を維持したまま、いかに工数負担を軽減するかに主眼が置かれていた。そこで、現場の主任や班長クラスの中堅メンバーが主体となり、ムダ・ロスの徹底的な削減や、作業者に大きな負担を与える作業の撲滅に取り組んだ。

 活動を任された中堅メンバーの反応は、当初は上々だった。現場の疲弊や負担の軽減につながると考えたからだ。そのため、改善活動の立案・実行はもちろん、毎週定期的にメンバーが集まって進捗を確認し、発生する問題点に対して解決策を議論するなどの取り組みを自主的に行っていた。

 だが、良い事ばかりではなかった。活動を続けていくうちに「忙しいので、今日の打ち合わせは欠席させてほしい」「先週はちょっとバタバタしていて活動を進められなかった」といった言い訳をする人が出てきたのだ。活動メンバーの中には「改善活動を軽視しているのではないか」という厳しい意見もあったが、「生産活動が忙しければ仕方がない」と、現場の状況をおもんぱかって当初は黙認していた。

 ところが、しばらくすると、活動のミーティングに全く参加しない人や、活動の進捗がほとんど見られない人が現れるようになった。気がつくと、活動メンバーの中に、多忙ながらも改善に力を入れている人と、そうではない人の間で深刻な対立構造が生まれてしまった。

 結果、「多忙だと言うけれど、そっちの職場はそれほど忙しくないはずだ。ただの言い訳だろう」などと厳しくののしり合う事態にまで発展し、生産性改善プロジェクトは空中分解してしまった。