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崩壊の顛末(てんまつ)

 製造部門の力が強すぎて他部門とのあつれきが表面化してしまった工場がある。これをY工場と呼ぼう。Y工場では伝統的に製造部門の発言力が強く、営業部門や設計部門などの他部門は常に製造部門の顔色を見ながら仕事を進めなくてはならなかった。Y工場には、優れた現場作業者の豊富な知見や技術力により、他社に勝る製品を世の中に送り出してきたという歴史があった。そのため、社内の誰もが製造部門の発言に一目置いていた。

(作成:日経クロステック)
(作成:日経クロステック)
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 いつしか製造部門にはある種の特権意識が芽生えていた。結果、製造部門の都合が全てに優先され、部分最適の面が目立つようになった。例えば、顧客からの納期変更の要望に対し、現場が考えた生産計画に影響がない場合は引き受ける。だが、生産計画を大きく変更しなければならない場合には、営業部門の強い要請があっても却下する。納期が遅れたり、生産効率が落ちたりするといった理由からだ。

 確かに、製造部の言い分にも一理ある。だが、製造部門の都合で全てが決まるのは企業として好ましくない。厳しい納期要請への対応や新たな加工技術への挑戦など、工場の競争力を向上させる施策にも本来は取り組むべきだからだ。しかし、製造部門の独善的な行動に不満を抱きつつも、発言力の強さの前に社内の誰も反論できない状況になっていた。

 製造部門が実権を握っていることは、過去において「ものづくりの力」を顧客にアピールできるプラスの側面があったことは事実だ。だが、その結果、製造部門が他部門の意見に耳を傾けない風土になってしまったことは、現在はマイナスに働いている──。この状況を憂慮した経営陣は、Y工場の悪しき文化を打破するために人事で大きな決断を下した。これまで製造部門の生え抜きが就任していた工場長に、製造経験の全くない営業部長だった人物を据えるという荒療治に出たのだ。

 新しい工場長は、着任するとすぐに現場の意識改革に取り組んだ。顧客の要望をかなえることが工場の使命であるという考えの下、「製造部門が自分たちの都合を最優先にしていた悪しき文化を変えなければならない」と現場に説き始めた。

 当然ながら、製造部門にも言い分がある。「これまでの効率向上の追求を、悪しき文化として切り捨てるのか」と猛反発が巻き起こった。生産効率を最大化するための生産計画の策定など、会社に貢献すべく取り組んできたことを製造部門は頭ごなしに否定されたのだ。製造部門の事情は構わずに営業部門から求められる要請に粛々と従うように命じられることなど、製造部門としては納得いくわけがない。新しい工場長と製造部門の溝は次第に深まり、ついには決裂してしまった。